迷宮金魚

□ 破婚の条件 溺愛の理由 番外編 □

破婚の条件 溺愛の理由 1

 
「別荘に行こうか」

 食後に居間でくつろいでいた時、不意にルシアーノが口を開いたのは、彼が帰宅してから数ヶ月すぎた日のことだった。海軍省を中心に起こった事件の後かたづけも目途がたち、生活の方は少しずつ落ち着きを取り戻し始めている。

「別荘……ですか?」

 ティアは瞳を瞬かせた。手元にある刺繍枠にはルシアーノの名前を刺しかけたハンカチがはめ込まれている。ボタン付けは得意なのだが、刺繍はあまり得手ではない。ハンカチくらいはなんとかしようと挑戦しているところだった。

「そう――しばらく休みも取っていなかったし」
「大変でしたものね。お休みが取れるのなら、いいのではないでしょうか?」

 現役の海軍将校であるルシアーノではあるが、よほどのことがない限り毎日海軍省に赴く必要はない。先日まではその「よほどのこと」のために毎日出かけていたが、落ち着いてきた今ならば軍の許可さえ下りればまとまった休みを取ることは可能だった。

「また、修道院まで行こう。乗馬の練習が必要だな」
「……そう、ですね」

 昨年別荘に滞在した時にルシアーノに教えてもらったが、ティアはあまり乗馬は得意ではない。だが、狩りに同行しろと言われているわけではないし、修道院までゆっくり走らせるくらいならなんとかなるはずだ。

「いつから行きますか? 明後日、モニカとお茶の約束があるんです。ですから――」
「わかった。仕事の調整にも時間がかかるし、明後日以降の出発にしよう」
「楽しみです」

 ティアは刺繍枠に視線を落とした。まっすぐに刺したつもりなのに、なぜか曲がってしまっている。歪んでしまった彼の名を隠すように刺繍枠を押しやるが、彼の手がすっとそれを取り上げた。

「なかなか綺麗にできていると思う」
「お世辞は言わないでください。もう少し練習しないといけませんね」
「せっかくティアが刺繍してくれたのだから、これがいい――それより」

 刺繍枠をテーブルに押しやったルシアーノは、そっとティアの顎に手をかける。キスされたら、あっという間に舌が中に入り込んできた。彼を押しやるのではなく、ティアはルシアーノのシャツを握りしめる。唇を少しだけ離して呼吸を整えようとする頃には、ソファに押し倒されていた。
 
 ◇◇◇

 モニカとは、結婚する前からずっと親友だ。その日ティアの元を訪れた彼女は、屋敷でお茶をするのではなく外に行こうとティアを引っ張り出した。

 川沿いの道にあるカフェがモニカのお気に入りだ。だが、モニカの夫は彼女が一人でカフェに出入りするのをあまり好ましく思っていないために、彼自身かティアが同行していないとカフェに入るのは禁止されているのだ。

「シロップ漬けのオレンジケーキとコーヒーがいいわ。あなたは?」
「私は……チョコレートケーキかしら。それからコーヒーね」

 二人とも屋敷に料理人はいるのだが、店で食べるとまた味が違う。特にモニカお気に入りのシロップ漬けのオレンジケーキは、屋敷の料理人にも味を再現することができなかったそうなので店に行くしかない。

「そう言えば、リカルド様から聞いたのだけれど、あなたの旦那様休暇を取るのですって?」
「ええ。ルシアーノ様も大変だったし、少しのんびりできるのならそれもいいかなと思って」

 川沿いの道をのんびりと歩きながら話をする。結婚したばかりの頃よりティアが社交の場に出る機会は増えたけれど、気を許せる友人の数はさほど多くない。こうやってモニカと出かけるのは貴重な機会だった。

「そうね、大変だったもの――リカルド様もあの時はぴりぴりしていたわ」

 モニカの夫は、モニカよりかなり年上だ。そのため、モニカには非常に甘いのだが、そんな彼でもぴりぴりすることがあるらしい。それは少し意外だったけれど、あの時は本当に大変だったとティアはしみじみとしてしまった。

 店内は非常に混み合っていたから、店の外のテーブルに腰を下ろす。 川を渡って吹いてくる風が気持ちいい。それはモニカも同じようで、無言になって川を眺めていた。

「今日会ったら真っ先に言おうと思っていたのだけど、忘れてたわ。あなたの旦那様、社交界でずいぶん噂になってるわよ」

 フォークを手にしたモニカの言葉に、ティアは首を傾げる。ルシアーノが噂になるのは、今に始まったことではなかった。

 独身の頃はなかなか結婚を決めうとしないことで。

 その次は、侯爵家の問題で。

 身分違いのティアとの結婚は、その陰に隠れてしまったような気もするが、目立つ地位にあるということもあって、噂になりやすかったのだろう。

「噂になるようなことなんてないでしょう? だって、必要最低限のお付き合いしかしていないもの」

 貴族という立場としては誉められたことではないのだろうが、ルシアーノもティアも簡単に手のひらを反す人達にはうんざりしている。だから、交際範囲も必要以上には広げようとはしていなかった。

「あら、違うわよ。あなた達がずいぶん仲良くしているからよ。侯爵を狙っていた令嬢達はがっかりしているの」
「な、仲良くはしているけれど」

 モニカの言葉に、少しだけティアの頬が赤くなる。きっかけが何であれ、今の生活はとても幸せだと思うけれど、それが人の噂になるほどだとは思っていなかった。

「……ごちそう様でした」

 フォークを置いたモニカの言葉は、食べ終えたケーキに対してのものなのか、それともティアの態度に対してなのかはわからなかった。

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電子書籍 2016年5月25日配信開始 
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    破婚の条件 溺愛の理由 番外編      破婚の条件 溺愛の理由 2 
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Date:2015/07/25
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