迷宮金魚

□ インテリ公爵さま、新婚いきなりオオカミ化ですかっ! わたし、押しかけ花嫁でしたよね?  試し読み □

第一章 彼の心を掴むのです!(2)

 
 母が厨房に立っているのを見かけたのは、それから十日ほどが過ぎた日のことだった。頬の腫れはひき、右手の捻挫もほとんど完治している。

 あの日の無茶な行動をクルトにも詫びたら、「お前が頭に血が上りやすいのはちゃんとわかっているから大丈夫だ」と彼は笑って許してくれた。

 叔父夫婦の息子であり、将来の家令を務めてくれる予定のエグモントはもう少し辛辣だった。「僕が君をいつでも守れるとは思うなよ――」と言いつつも、彼の表情は心配していると告げてきたから申し訳なくなる。

 厨房からいい香りがするので、そこをのぞいてみたら母がオーブンの前に立っていた。

「母上、寝室から出てきてもよいのですか」

「今日は、とても気分がいいから、久しぶりにサクランボのチーズケーキを焼いてみたの。口に合うといいのだけど。あとクッキーも焼いたのよ。お茶にしましょう」

 公爵の夫人でありながら、母は厨房に立つのが好きだった。刺繍や裁縫はあまり得意ではないが、甘い菓子を焼くのは得意だ。特にサクランボをたっぷり使って焼いたチーズケーキはレミアスの好物なのである。

「母上のケーキならうまいに決まってる。クッキーも久しぶりですね。クルトとエグモントにも分けてやりましょう」

 母の焼いた菓子でお茶の時間を楽しむ。それは父を亡くした後、十四歳でポラルーン領を継がざるを得なかった彼にとって、心行くまでのんびりできるわずかな時間でもあった。

 まだ寝台を離れられないクルトの部屋でお茶をしてもいいか本人にたずねようとしたレミアスは、うきうきしながら厨房を出ようとした。だが、その時、どさりという音がして慌てて振り返る。

「は、母上っ!」

 振り返った時には、今の今まで元気に菓子を焼いていた母が厨房の床に倒れていた。

 レミアスはすぐに母を抱き上げ、寝室へと走りながら城につめている医師を呼ぶよう命じる。だが、呼ばれてきた医師は首を横に振るだけだった。もう、手の施しようがないらしい。

「レミアス――この地をお願い。あなたの代で、この地を失うようなことにはしないで。この地を守ってちょうだい――お願いよ」

 先ほどまで気分がいいと言って厨房でケーキを焼くほどに元気だったのに――。

 今、改めて母がずいぶん痩せてしまったことに気付いたレミアスは頭を殴られたような気がした。病に冒されているのはわかっていた――だが、なんとなく母は不死身のような気がしていたのだ。

「約束して。お願い――この地を守ってちょうだい」

 レミアスの手を握る母の手はずいぶんと冷たい。死が間近に迫っていることを意識しながら、レミアスは微笑んだ。

「約束する、母上――いや、約束します、母上。母上のお言葉、しっかりと胸に刻みます」

 これ以上、母に心配をかけてはならない。レミアスがそう約束すると安心したように母は微笑んだ。

 母が眠るように死んだのは、それから二日後のことだった。無表情のレミアスに、従兄弟のエグモントが声をかけてくる。

「――レミアス、気を落とすなよ。僕もクルトもついているから」

 エグモントが、そっとレミアスの肩に手を置く。彼の手の温かさも、レミアスにはほとんど感じられなかった。心が凍り付いたみたいだ。数度瞬きをし、一つ深呼吸をしたあと静かに告げる。

「『私』は大丈夫です――今後のことは、叔父上達に相談しましょう。まずは、公爵夫人にふさわしい葬儀を執り行わなければ」

「……レミアス?」

 不意に声音も口調も変わったレミアスに、エグモントは驚いたように目を見張る。そんな彼を促し、レミアスは執務室へと足を向けた。

「眼鏡が欲しいですね。眼鏡を商う商人を城に呼んでもらえますか」

 この地を守って――その、母の言葉がレミアスを縛る。

 表情を読まれたくなければ、口ほどにものを言ってしまう瞳を眼鏡の奥に隠さなければ。意図して、穏やかな口調を作る。母亡き今、激高したレミアスをいさめてくれる人はいないのだ。

 この日以来、レミアス・バジーリウスは人が変わったように落ち着いた。

 ポラルーン領が史上最大の繁栄を誇るようになったのは、それから三年後のこと。国境を越えて侵犯してきたアルバース王国の軍を撃退した後だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 


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    第一章 彼の心を掴むのです!(1)      第一章 彼の心を掴むのです!(3) 
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Date:2018/09/13
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