迷宮金魚

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宇佐川ゆかり

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第一章 身代り花嫁は後宮へ(6)

「――これは、命令だ。それでも聞けぬというのなら、慧月の治療を取りやめてもよいのだぞ」

「お、お父様、それだけは!」

 役に立たなくなった妾は、屋敷から追い出されても文句を言えない。

 そんな中、父は長年の間患っている母を、余計なことは一言も言わず離れにおいてくれ、医師の治療も受けさせてくれた。

 だが、治療を取りやめてしまえば、母は命を落とすことになりかねない。

(お父様が、本気で言っているとは思いたくないけれど……)

 母に対する父の気持ちがどの程度のものかはわからないが、愛はなくとも情は残っていると思いたい。

 忙しい中でも、月に数度は母の様子を見に、離れに顔を出してくれているのは知っている。そんな父が治療を取りやめると口にするくらいなのだから、今回の縁談は壊すわけにはいかない。

「わかりました、お父様。ご命令通りにいたします」

 玉英が嫁ぐ予定だった日まで、まだ少し時間がある。

 その間に気持ちを固めればいい。

 けれど、梅英のその決心もまたあっという間に覆されてしまった。

「今回のようなことがあっては困る。後宮入りの日を早めるようにという命令が陛下の方からあった。次の吉日に婚儀を執り行う」

「つ、次の吉日って!」

 思わず悲鳴じみた声を上げてしまった。

 いや、それもしかたなかった。

 次の吉日といえば、明日。こんな急に嫁ぐことになるなんて、想像できるはずもない。

「明日の朝には、後宮からお迎えが来る。今日のうちに準備をすませておけ」

「そんな!」

「お前と玉英は体形が似ている。花嫁衣装も、嫁入り道具もそのまま使えるだろう。新たに用意する必要はない」

 たしかに父の言う通りではあるけれど、いくらなんでも明日の朝出発することになるなんてむちゃくちゃだ。

 嫁ぐ前、母とゆっくり過ごす時間さえ取れない。

 一度後宮に入ってしまったら、めったなことでは外出の許可も下りない。事前に申し出れば、母から会いに来てくれることはできるけれど、病みついた身ではそれも難しいだろう。

「そんな……あまりにも急過ぎて……」

「命令だ、と言ったはずだぞ」

 そう重ねて言われてしまえば、反論する言葉なんて出てこなかった。

 そう、命令ならば逆らうことはできない。

 先ほどからずっと顔を上げることができないでいる。いつか、誰かに嫁ぐことになるだろうと思っていたけれど、もう少し先の話だと思っていた。

 それなのに、父はなおも追い打ちをかけてくる。

「皇太子殿下のご厚意とはいえ、お前では殿下は物足りないだろう」

「そ、そうですよね……」

 他に何が言えるだろう。美女の誉れ高い姉、平凡な妹。

 しかも、玉英の母である正妻は、先帝からすれば従姉妹にあたる女性だ。母の身分という点からも梅英では玉英に太刀打ちできない。それがわかっているからこそ、無理と口にしているのに。

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第一章 身代り花嫁は後宮へ(5)

「そこで――だ。玉英の代わりにお前に入宮しろとのご命令だ」

「む、無理ですっ!」

 いくら胡家の娘であればいいと言っても、めちゃくちゃな話だ。

 だって、美女の誉れ高い玉英と平凡な梅英では比べ物にならない。そんな梅英の想いをくみ取ったように、父は話を続けた。

「お前を入宮させようというのは、玉英を望まれたという事実をなかったことにしてくださるという皇太子殿下の思いやりだ」

 胡家は、皇帝の命を救って以来、祖父、父と二代にわたって皇帝のすぐ側で忠義を尽くしてきた。とはいえ、縁談を嫌って逃げたという罪を問わずにいてくださるとは寛大な措置だ。胡家は、精いっぱいその恩義に報いなければならない。

「だから、このままお前が輿入れするのだ。よいな?」

「でも、お父様……わ、私に皇太子殿下のお妃様なんて……無理です」

 異母姉のように美貌や立ち居振る舞いで相手を圧倒することもできない。いたって平凡なのは自覚している。それに将軍家の娘とはいえ、母は商家の出身で妾という扱いだ。

 不安に駆られている梅英に、父はがっかりしたような目を向けた。

(ああ、また……)

 自分がしでかしたことに、梅英は青ざめた。床に視線を落とし、父の目から逃れようとする。

 幼い頃から、父が何度もこういった目をするのを見てきた。それは、梅英に失望したことを示すものだった。

 何をやっても異母姉には及ばない。

 いや、人並み以上にできるのは裁縫くらいだ。貴族の子女のたしなみとされる詩歌も音曲も、何ひとつ巧みにこなすことはできない。

 父の役に立ちたくて医学の基本を身に着けたけれど、それだって、一人前の医師として認められるほどのことでもない。あくまでも「貴族の娘としては詳しい」程度でしかなかった。

 この屋敷において梅英がのんびり暮らすことを許されていたのは、正妻と異母姉の心配りがあったからでしかない。

「お前に、断ることなどできると思っているのか?」

「ですが! 私が後宮に入ったところで、皇太子殿下の寵愛を得ることはできないでしょう。それは、お父様もよくご存じ――」

 梅英の言葉は、途中で途切れてしまった。

「そんなことくらいわかっている!」

 一度は思いなおした父が、今度こそ文机に拳を叩きつけたから、うつむいたままだった梅英は、思いきり飛び上がってしまった。

 衣の袖で顔を覆い、これ以上父の怒りを買わないようにするので精いっぱい。

「――まったく、お前は。本当に私を失望させる。よいか、これは、皇帝陛下と皇太子殿下のご意思だ。お前の気持ちなど関係ない」

「は、はい……でも……」

 玉英が、後宮に入る日が近づいてくるにつれて浮かない顔になってきた理由もわかるような気がした。

 男が何人もの妻を持つのは、男の甲斐性ともいわれている。父だって正妻の他に妾として母を屋敷に住まわせている。これでも貴族としては少ない方だ。

 これが皇帝の妃やその候補者となりうる宮女達の住まう後宮ともなれば、何百人、何千人という世界中から集まってきた美女が生活している。

 暁賢はまだ妻帯していないけれど、いずれ妃は増えるだろう。未来の皇帝に嫁ぐことを目標に自身を磨き上げてきた女性達と渡り合えるとも思えない。

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第一章 身代り花嫁は後宮へ(4)

「元《げん》永翔《えいしょう》のやつ、とんでもないことをしてくれた。飼い犬に手を噛まれたとはこのことをいうのかもしれない」

「元永翔……って!」

 元永翔は、身分はさほど高くないものの、父が右腕と言ってもいいほどに重用している部下でもあり、将来を有望視されている武官でもある。

 父も多数いる部下達の中でひときわ目をかけていて、務めで遅くなった時などは、彼をこの屋敷に泊めさせたこともある。

 たしかに、永翔ならば玉英と顔を合わせる機会は多いだろうけれど、まさかそれが駆け落ちに通じるとは。

「先ほど、元家から使いが来た。元家でも、全力で二人を追うという。胡家でもそうするつもりだ。見つけ次第、玉英はこの手で叩き切る」

「た、叩き切るって……」

 父の決意は固いらしい。二人がしでかしたことの是非は今は置いておくとして、逃げ延びてくれることを祈らずにはいられなかった。

 部屋に残っていた客人の香りは、元家からの使いだったようだ。

(……いえ、こんなことを考えている場合では……)

 二人については、梅英にできることはもうない。父から叩き切る宣言があった以上、無事に逃げ延びることを密かに祈り続けるくらいしかできない。

 父は、うろたえる梅英の様子を見て、本当に何も知らないのだと判断したようだった。深々と息をつき、火鉢の方へ手を伸ばす。

「この度の縁談、皇太子殿下が玉英を見染めたというだけのことではないのだぞ。あの愚か者にも困ったものだ」

 見染めたというだけではないというのはどういうことだろう。火鉢で手を温めるふりをしながら、父はいらいらと続ける。

「父上の時代に、先帝陛下の命をお救いしたのはお前も知っているだろう」

「はい。おじい様が話してくださいました」

 父がいかめしい人間であるのに対し、亡くなった祖父は好々爺という言葉を体現したような人だった。

 そんな祖父も、若い頃は父のように戦場を駆け巡っていたらしい。「晶国《しょうこく》の悪鬼」などという二つ名がついていたなんていう話も聞いたことがあった。

 玉英や梅英を膝の上に載せ、各地の戦場で見聞きした珍しいものについて話を聞かせてくれたことを昨日のことのように覚えている。

「それともう一つ。先帝陛下と父上の間には、もう一つ密かな約束があったのだ。二人の子供を結婚させよう、と」

 けれど、それは叶わぬ約束となってしまった。

 胡家には息子しか生まれず、皇家には公主も誕生したけれど、年上過ぎて父とは年回りが合わなかったり、若いうちに亡くなったりで実現しなかったそうだ。その約束が、孫の代にまで持ち越されたということらしい。

「では、お異母姉様は先帝陛下のご意思まで……裏切ったことに……」

 梅英は、自分の顔がますます青ざめていくのを自覚した。玉英の駆け落ちは、梅英が思っていた以上に大事だった。

 胡家がお取り潰しになったとしても当然だ。だが、父は、ため息を深くついた。

「寛大にも、皇太子殿下からは二人の罪は問わぬ、と。そもそも、玉英を願ったというより、胡家の娘であればよかったらしい」

 皇太子からすれば先代の皇帝は祖父にあたる。祖父の願いを彼も叶えようとしたということだろう。

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第一章 身代り花嫁は後宮へ(3)

「玉英の縁談についてはお前も知っているだろう」

「皇太子殿下に嫁ぐのでしょう? 大変名誉なことだと――私も、婚礼の衣装をお手伝いしております」

 正妻の娘である玉英は、平凡な顔立ちの梅英と違い、美女の誉れが高い。

 父の弟子達がこの屋敷に来て武芸の稽古を行うことも多いが、その中の何人が異母姉目当てなのかわからないほどだ。

 その異母姉を皇太子が見染め、皇太子妃として入宮させるように――との命令があったのは、昨年の秋のこと。

 皇太子である慧《けい》暁賢《ぎょうけん》は、穏やかな貴公子として知られている。父の弟子でもあるので、梅英も顔を見たことはあった。

 たしか、年が明けてすぐ二十二歳になったところだが、女性関係で浮いた噂は一つもない。

 冬が過ぎ、春の陽気のよい時期になってから嫁ぐようにと配慮がされ、冬の間は胡家は入宮の準備に追われていた。

 婚儀が終わるまでは顔を合わせないというしきたりから、暁賢が玉英に会うためにこの屋敷を訪れることはなかったが、皇族に嫁ぐという名誉に家中の者が大興奮し、祝福していた。

 花嫁衣装の豪奢な刺繍は、専門の職人が一冬の間屋敷に滞在して施したが、初夜にまとう寝衣、後宮に入ってから身に着ける襦裙や下着類は、胡家の女達がせっせと手を動かして縫ったのである。針仕事の得意な梅英も、玉英のために精いっぱいの手伝いをした。

 玉英にはたいそう可愛がってもらったから、梅英も手を貸すのは嫌ではなかったし、自分が力を貸すことができるのが嬉しかった。

(お異母姉様が、不安に思っていたのは知ってるけれど……)

 後宮に入るようにとの沙汰があって以来、玉英が沈みがちであったのは梅英も気づいていた。

 話を聞こうとしても、首を横に振って何も話してくれない。

 母が長い間病みついていること、父の部下達が訓練中に怪我を負った時に応急手当くらいはしてあげたいと思ったことから、梅英には医学の心得がある。

 その特技を生かして少しでも睡眠が取れるようにと、気を落ち着ける薬草茶を用意したり、寝る時に寝室で焚く香を調合したりと、その不安を取り除くためにできる限りのことはしたつもりだ。

 ひょっとして、玉英の具合が悪くて呼ばれたのだろうか。

「玉英がどこに行ったのか、お前は聞いていないか」

「はい? お異母姉様が? お出かけではなく?」

「そうではない」

 文机に叩きつけようとするかのように拳を振り上げた父は、けれど、その手を宙で止めた。その振り上げる動作だけで、梅英の身体が硬直する。

 父に殴られたことは一度もないが、大声を上げられたことは何度もある。

 軍人だからこんなものだろうと正妻も母も言っていたけれど、それでも怯えないというわけにはいかないのだ。

「あいつ、駆け落ちしたのだ」

「は……? か、か……け……落ち……ですか?」

 父が口にした言葉の意味を理解するまで、かなりの時間がかかってしまった。

 駆け落ち、とは仲を許されない男女が手に手を取り合いすべてを捨てて行方をくらませることではなかっただろうか。

 まさか、玉英がそんな強硬手段に出るとは思ってもいなかった。いや、それ以上に問題なのは。

「皇太子殿下のお怒りを買うことに……!」

 もともとこの縁談は、暁賢からの申し入れだ。

 だが、皇太子である暁賢との縁談を嫌って逃げ出したということは、その後胡家にどんなお咎めが来ても文句は言えない。

「皇帝陛下の胡家に対する特別のご厚誼を計算すれば、たいしたお咎めはないと思ったのかもしれないが、愚かなことだ」

「そ、それにしても!」

 玉英をたぶらかし、駆け落ちさせたのはどこの誰なのだろう。梅英が、それを問いただそうとした時だった。

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第一章 身代り花嫁は後宮へ(2)

(……ちょっと、寒かったかも)

 暖かい室内から外の様子を見ている分には、今日は温かいように感じられたが、襟のところに毛皮のついた外套を羽織らずに来たのは失敗だったかもしれない。

「……そろそろ雪もとけるかしら」

 昨夜は久しぶりに雪が降ったが、日差しはだいぶ暖かくなってきている。梅の花が膨らみ始めているのを横目で確認しながら、急ぎ足に母屋に入った。

(……前回ここに来たのは、奥様とお異母姉様《ねえさま》の手伝いだったっけ)

 梅英と母が離れで生活をしているのに対し、父の正妻とその娘である玉英《ぎょくえい》は母屋で生活している。梅英が最後に母屋を訪れたのは、年始の挨拶に来た客をもてなす二人の手伝いをした時だった。

 年始以来、母屋に入らなかったのには、特に深い理由があるというわけではない。用事がなかったというだけのこと。

 二人とも妾の娘である梅英を可愛がってくれていたし、母の側を離れられない梅英を気遣ってしばしば離れを訪れてくれる。

 母も梅英も二人の厚意には感謝していて、敬意と親愛の念を持って接しているので、おおむねこの家は平和と言ってもいい。



 部屋まで案内してくれた使用人は扉のところでいなくなってしまったので、しかたなく自分で声をかける。

「お父様、参りました。入ってもよろしいでしょうか?」

 そう言えば、今日は玉英の姿を見ていない。いつもなら、梅英が母屋に入ればすぐに顔を見せてくれるのにどうしたのだろう。

「――入れ」

「失礼します」

 扉を入ったところで床の上に座り、手をついて頭を下げる。父が合図して、側に寄るよう促された。

 胡家の長であり、国においては将軍という地位を預かっている父の部屋は、いかにも軍人らしいな雰囲気だった。

 目に見えて豪華な調度品は置かれていない。木製の家具はほとんどが濃茶に塗られ、螺鈿の細工も、ほんの少しあしらわれているだけ。

 壁には皇帝から賜った剣や、父が出入りの武器商人から買い上げた名剣、槍などが飾られている。もっとも、これらの武器は単なる飾りではなく、父が戦場に赴くとなれば、いつでも持ち出せるようにきちんと手入れされている。

 部屋の奥、一段高くなったところに座っている父の前には、書類の広げられた文机がある。その側には火鉢が置かれていて、鉄瓶が湯気を上げていた。

「……そこに座れ」

「はい、お父様」

 いつもいかめしい表情をしている父であるけれど、今日はいつも以上に険しい顔をしている気がする。何かあったのかと思いながら、急に不安が再び胸に押し寄せてくるのに気がついた。

(……部屋の空気も、いつもと違う気がする)

 かすかに鼻に香るのは、この家の者が身に着けているのとは違う香り。不愉快なものではないのだが、つい先ほどまでここに客人がいたことを表している。

 床に敷かれた敷物の上に正座して待つけれど、父が口を開く様子はない。火鉢にかけられた鉄瓶がしゅんしゅんとたてる静かな音だけが室内に響いていた。

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