迷宮金魚

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宇佐川ゆかり

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第二章 悪役令嬢、隣国へ(9)

「交易船は、港ですか?」

「交易船が見たいのか」

「間近で見ることがなかったので……お時間のある時に見せていただけたら嬉しいです」

 この国の都は、フォルスロンド王国の都とはまるで違う雰囲気だ。

 街を行く人々が身につけている色も、赤、黄色、オレンジに鮮やかな緑など華やかなものが多い。だが、その間に柔らかな色合いの服を着た人達もいて、自分が好きなものを好きなように身に着けているようだ。

(……私のこの格好でもあまり浮かないかも)

 ちらり、と赤いドレスを着ている自分の身体を見下ろした。

「ほら、あれが俺の城だ」

「――すごい!」

 馬車の行く手には、大きな城が見えていた。

 真っ白な石造りの建物は、建物そのものが芸術品のように美しい。彫刻が施され、屋根は優雅なアーチを描いている。

 けれど、建築様式は統一されていないようだった。建物の南側と北側では、北側の方が古い時代様式でたてられているようにも見える。

「……とても大きいんですね」

「増改築を繰り返しているから、いつの間にかこの大きさになってしまったという方が正解かもしれないな。南の方は、五十年ほど前に建てられたものだ」

「やっぱり」

「やっぱり、とは?」

「北側の方はセゴニア様式だと思ったんです。南に行くにしたがってだんだん新しい様式になっていって、最南端はトゥリア様式です。だから、何回かにわけて、増改築されたのだと。それから、南側のドームの彫刻は、南の大陸風ではありませんか?」

 淑女としての教育を受ける中、歴史の授業と美術の授業にも力を入れていた。

 どこに招かれるにしても、美しい城や屋敷は建物そのものが芸術品だ。建物に施されている彫刻は、誰の手によるものなのか。それがわかるのとわからないのとでは、話の弾み具合が変わってくる。

「フェリアは、本当に物知りなのだな。感心した」

「いえ、そんなのでは」

 たしか、城の敷地面積は広いが、建物内に日光をまんべんなく取り入れるために、中庭にかなりの面積を割いているはずだ。

(このお城で過ごすの……少し、楽しみになってきたかもしれない)

 中庭での日光浴は、きっと気持ちがいいだろう。

 自分が、この国での滞在を楽しむつもりになっていることに、フェリアはまったく気づいていなかった。

 

 招き入れられた城の中もまた立派なものだった。

「――この国は、とても豊かなのですね……!」

 思わず、フェリアの口からそんな言葉が漏れた。

 建物の中央には、フェリアの予想通り中庭があった。そして、ぐるりと中庭を囲うようにしてもうけられている廊下は、両側の壁に大きく窓が取られている。

 今日はさほど暑くないから窓は閉じられているけれど、夏になったら中庭の風が涼しく廊下を通り抜けていくに違いない。

 そして、廊下の床には敷物は敷かれていなかった。そのかわり、様々な色合いのタイルが敷き詰められて、モザイク画が描かれていて、その上を踏んで歩くのが申し訳ないような気分に陥るほどに美しい。

 廊下だけではなく天井を見上げれば、そこには、この国で見ることのできる植物が彫刻されていた。

 そして、天井近い位置にあるというのに、どの彫刻にも埃などつもっていない。使用人達が丁寧に仕事しているのがよくわかる。

(『ヒロイン』は、このお城を見てどう思ったのかしら……)

 思わずフェリアは心の中でつぶやいた。

 こんなにも美しい城に足を踏み入れて、ヒロインはどう感じたのだろう。

「本当に、素敵なお城ですね!」

「フェリアにそう言われると、俺も誇らしくなってくるな。建築のことはよくわからないんだが」

「ほら、あそこに葡萄があります。葡萄は収穫できますか」

「ワインを作っているからな。たくさんとれるぞ」

「機会があったら、ワイナリーも見学させていただけたら嬉しいです」

 いつまでこの国にいられるかわからない。

 けれど、この国にいる間は少しでもこの国を知る努力をしたいと思った。

 それが、彼の見せてくれた好意に対するできる限りの返事だと思ったから。




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第二章 悪役令嬢、隣国へ(8)

 やがて、馬車は一度停まった。

「お帰りなさいませ、陛下――」

「街の様子は、いつもと変わりありませんよ」

 馬車の外から、そう声をかけられる。

 クラウディオの腕の中にいたフェリアは、慌てて身を離そうとした。

 こうやって彼と密着しているところを見られない方がいいのではないかと思ったが、馬車をのぞき込んできた人達はそうは思わなかったようだ。

「……何やってるんですか。若いお嬢さんを抱え込んで」

「まさか、親御さんに黙ってさらってきたんじゃないでしょうね?」

 どうやら馬車をのぞき込んでいるのは二人いるようだ。

 気安い口調から、クラウディオに近しい人間なのだろうと思った。

「馬鹿か。お前達は」

 あきれたようにクラウディオが嘆息する。それから彼はますますフェリアを抱く腕に力を込めた。

 顔を上げることもできなくなって、フェリアの方は、ただ、彼になされるまま。

 後頭部に回された手が、フェリアの顔を彼の胸板にぎゅっと押しつける。

「俺の花嫁だ。お前達には見せてやらん」

「わあ、ずるいなあ……綺麗な人なんでしょう」

「世界一の美女だぞ。俺の目にはそう見える」

(な、なんてことを言うの……!)

 臆面もなく、そんなことを言い放つから、フェリアは真っ赤になってしまった。

 一つ救いがあるとすれば、彼がフェリアの顔をぎゅっと押しつけているから、彼らにフェリアの表情は見られなかったというところくらいだろうか。

「城下は安全ですが、お気をつけて」

「いつか、ちゃんと会わせてくださいね」

 なんて会話が頭の上で交わされ、馬車は再び動き始めた。

(……本当に、この人は……)

 クラウディオの腕の中でフェリアは嘆息した。まだ、心臓がこんなにもドキドキしている。

 口にした時の彼の表情をうかがうことはできなかったけれど、フェリアを世界一の美女だと言い放った時、きっと彼は堂々としていたのだろう。

 ――困る。

 不意にそんな思いが押し寄せてくる。

 彼に、こんな風に大切にされることに慣れてしまったらきっと困る。

「あの、クラウディオ様」

 クラウディオの胸に身体を押しつけられたまま、フェリアは首だけ捻じ曲げて彼の顔を見上げた。

 彼は、なんてことないみたいな顔をして、こちらを見下ろしている。彼の目に映った自分の顔を確認したとたん、フェリアは固まってしまった。

(……私、こんな顔もできたんだ)

 クラウディオと出会う前のフェリアは、いつも冷静な表情を崩さないようにしていた。王太子の婚約者であり、侯爵家の娘である以上、人前で弱みを見せるわけにはいかなかったから。

 それなのに、クラウディオの前では、今まで必死に取り繕ってきた『フェリア・レセンブルク』の仮面がぽろりと落ちてしまう。

 クラウディオの瞳に映る自分の顔は、とても心細そうにこちらを見つめ返していた。こんな顔、今まで見たことなかった。

「私……これからどうしたら」

「難しいことは考えなくてもいい。この国と、俺のことをもう少し知る努力をしてくれれば」

(そんなことを言うから困るのよ……)

 なんて、フェリアが考えていることを、きっと彼は知らない。

 彼がフェリアに合わせてくれるというのなら、それに甘えてしまえばいいのかもしれないけれど、甘えっぱなしなのも違うと思うのだ。

「街の様子を見てみるか?」

「ええ……見せてください」

 クラウディオが腕の力を緩めてくれて、窓の方へと目を向ける。

 窓の外に広がっていたのは、今まで見たことのない光景だった。

 石造りの家の屋根は、赤やオレンジといった鮮やかな色に塗られている。窓は大きく取られていて、どの家も開放的な雰囲気だ。

 窓にひらひらと揺れているカーテンは、白やクリーム色、水色のような淡い色合いのものが多く、とても涼し気な雰囲気だった。

(……海の香りがする)

 鼻孔をくすぐるのは、潮の香。この世界に生まれてから海には行ったことがなかったから、この香りをかぐのは久しぶりだ。

 ちょうど市場を通り過ぎているところのようで、賑わいが馬車の中にまで伝わってくる。

 果物屋の店先に並んでいるフルーツは、バナナやマンゴーのような色鮮やかで南国情緒あふれるものが多い。店先に置かれている樽には、大量のオレンジが入っている。





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第二章 悪役令嬢、隣国へ(7)

 そして、出発から二週間後。フェリアは無事にフロジェスタ王国の都に到着した。

 道中、クラウディオとの仲はかなり進展したと思う。

(……本当は、そんなに怖い人じゃないのよね)

 もう少し地味なドレスを持ってくればよかったと思うけれど、トランクの中に入っていたのはやっぱり赤いドレスだけ。何度見たって清楚な色合いのものなんてない。

 髪は両サイドの髪を編みこみにしながら後頭部に持っていき、そこで一つにまとめている。残りの部分はそのまま流しているけれど、少しは可愛らしく見えるだろうか。

「どうした。今日はずいぶんとおとなしいのだな」

「あ、あなたのせいです……!」

 目の前に座っているクラウディオは悠々としているが、フェリアの方は落ち着かない。

 日を重ねるにつれて、彼のスキンシップは激しくなった気がする。

 朝、顔を合わせれば頬か額にキスが落とされる。

 歩く時には手を取られるか、自然に彼の手が腰に回っているかだ。就寝の挨拶の時には腕の中に囲い込まれるし、とにかく距離が近く、刺激が強い。

 おまけに、今日は馬には乗っておらずフェリアの乗っている馬車に一緒に乗り込んでいる。目のやり場に困ってしかたない。

 だが、彼がフェリアを気に入ってくれたところで、彼の国の人達が受け入れてくれる気になるかどうかは別問題だ。

(私が、悪者だって……この国の人達に伝わってないという保証はないものね)

 馬車の窓にもたれるようにして、ため息を一つ。

 朝から緊張しているのは、フロジェスタ王国の人達にフェリアが受け入れてもらえるかどうかが心配だからだ。今朝からずっと胃のあたりがしくしくとしている。

(この国の人達は、私を受け入れてくれる……?)

 素行が悪すぎて、王太子との婚約が解消されてしまったなんてこの国の人達にも伝わっていたら、どう対応したらいいものかわからない。

「フェリアは、小さなことを気にしすぎるのだな。この国の民は、小さなことなんて気にしないぞ」

「それは、クラウディオ様のお考えでしょう」

 もし、フロジェスタ王国の人達に『悪役令嬢は国に帰れ』なんて言われたら、もう立ち直れない気がする。

「――あ、あの。クラウディオ様。一ついいですか?」

 フェリアは首をかしげる。

 どうして、向かいの席にいたはずの彼が、いつの間にか隣に移動してきているのだろうか。少なくとも、フェリアは気がつかなかった。

 それだけではなくて、しっかりと腕の中に抱え込まれているのだから、身動きするのさえままならない。

「どうして、私はここにいるのでしょう……?」

 あまりにもぼうっとしすぎていたかもしれない。彼が、隣に移動してきているのに気づかないなんて。

「どうして、って俺がそうしたいからに決まっているだろう」

 それは、フェリアの意思は関係ないということなんだろうか。

 だが、彼はフェリアが本当に嫌がることはしないから、離れてくれと言えばきっと黙って元の位置に戻るのだろう。

 ――でも。

 こうやって、彼の腕の中にいるのは嫌な気分ではない。

「……あなたが、そうしたいのなら」

 結局、こうやって可愛くない反応を返すことしかできない。彼の腕の中にいるのは心地よいのだと、認めてしまえばきっと楽になれるのに。

以前ならこんな風に返すことはなかったから、きっと彼との距離が近づいているということなんだろう。

「大丈夫だ、俺がついている」

 そうやって、低く艶を帯びた声音でささやかれると、大丈夫なような気がしてくるのだからすごい。

 クラウディオの鼓動に耳を傾け、彼と同じリズムで呼吸しようとする。深い呼吸を繰り返しているうちに、心が穏やかになってくるのが自分でもわかる。

(……そうね、いざとなったら国に帰ればいいんだもの)

 フェリアはますます彼に身を寄せた。

 もし、この国の人達がフェリアを受け入れないというのなら、自分の国に帰ればいい。

 国に帰ったところで、行くところもないけれど――いざとなったら、実家を出ればいいのだ。

 きっと、フェリアにもできる仕事は何かしらあるだろう。

 彼の大きな手が、ゆっくりと背中を上下する。意図的に深い呼吸を繰り返して、落ち着きを取り戻そうとした。




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第二章 悪役令嬢、隣国へ(6)

 こうして、フロジェスタ王国への旅は、順調に進められた。

「今日は急ぐぞ。このあたりは治安が悪い。フェリアに万が一のことがあっては大変だから、盗賊が出るあたりは急いで抜けよう」

「大将はものすごく強いんで、安心してくれていいですよ、フェリア様」

「……二人が守ってくれるのなら、安心ですね」

 三日もたてば、フェリアもこのくらいの軽口は叩けるようになっていた。

 毎日三度の食事を三人でとっているのだから、距離が近くなるのも当然だ。

(……本当に、強そうなのよね)

 ゲームをプレイした時には、あまり好みではないなどと失礼なことを考えてクラウディオルートはスルーしてしまったけれど、毎日過ごしていれば、どんどん彼のことが好ましく思えてくる。

 身体は大きいし、いざとなれば大声を発することもあるが、外見から思っていたほど粗野なタイプではなかった。フェリアが想像していたような人間とはまるで違う。

 部下達には慕われているし、イザークとも仲が良い。

(……だけど、苦しくなるんだもの)

 往生際悪く、フェリアはそうつぶやいた。

 クラウディオがフェリアを大切に扱ってくれているのはわかっている。たぶん、こんなにも大切に扱われている女性はそうそういない。

 だけど。

 ここがゲームの世界で、クラウディオが攻略対象であるというその事実までは打ち消しようがない。

このまま、彼のことを好きになったら――何か、悪いことが起こりそうな気がしてならない。その予感は、打ち消そうとしても打ち消そうとしても、ちょっとしたきっかけで浮上してくるのだ。

「――そんな顔をするな。盗賊が出たら、俺が守ってやる」

 気がつけば、彼がこちらを見つめている。盗賊が出ることを恐れていたわけではなかったけれど、彼にはそう見えていたようだ。

真顔で言われ、ほんのりと耳のあたりが熱くなる。きっと、顔も赤くなっている。

「全て俺に任せておけばいい」

「はい、ありがとうございます――頼りに……していますね」

 そう言ったら、驚いたように少しだけ目を見開いたクラウディオは、すぐに顔をほころばせた。

 フェリアを見ている時だけ、彼の目がいつも以上に柔らかな光を帯びるのをフェリアは知っている。

 フェリアが馬車に乗り込むと、クラウディオはフェリアのすぐ側に馬を寄せてきた。

(……悪い人ではないのは、わかっているの)

 生真面目な表情をして、彼はまっすぐ前を見つめている。

 馬車の中から、フェリアはじっと彼を見ていた。

 フェリアをあの国から連れ出してくれた。悪評も気にしないと言ってくれた。

 むしろ、あの噂が、元の婚約者達が意図的に流したものであるということも理解してくれていて――。

(……どうしよう、私……)

 彼と出会って、まだたいした時間が流れたというわけではない。

 それなのに、彼の姿をこうやって見ていると、なんだか胸がどきどきしてくるのだ。

 なんで、こんなに胸がどきどきするのだろう。

その理由はわかっているけれど、明確な言葉ではまだ表現したくない。

 本当にそれでいいのかと、心の奥からフェリアを支配しようとする声は消えようとしないのだ。

(だって、私は悪役令嬢だもの)

 この世界はゲームとは違うと頭ではわかっている。だが、たった一年の間にフェリアが築き上げてきたものは失われてしまった。

 クラウディオの国にまで悪評が届いていて、国民が、フェリアを受け入れてくれない可能性だってある。

 彼の国に到着してからのことを、今心配したって始まらないのもわかってはいるけれど。

「――どうした? まだ、不安か」

 あまりにもじろじろとクラウディオを見つめていたのが、彼に気づかれてしまったかもしれない。

 彼に恋しているんじゃないかと今思い当たったばかりだったから、かっと顔が熱くなるのを自覚した。

 心臓が、ばくばくと言い始めて、彼の問いに答える余裕も完全に失われている。

「いえ、そうではなくて――あなたが」

 あなたが、と言いかけてそこで止まってしまった。この先、続く言葉を本当に口にしてしまっていいんだろうか。

「俺の顔に何かついているか?」

 けれど、その沈黙はクラウディオには違う意味にとられてしまったようだ。顔に手をやり、ついてもいない汚れを落とそうとしているみたいにそこをこする。

「い、いえいえいえいっ、違うんです。そうではなくて――その、う、馬に乗っている姿がとても――とても、その、素敵……だと……」

 言葉の後半が震えているのが自分でもわかる。とても素敵だからなんだと言うんだ。

 けれど、その言葉を聞いたクラウディオの方も、わずかに顔を赤くしている。

「そ、そうか――フェリアの目にはそう見えるか」

「はい、あの、でも、お気になさらないでください……!」

 彼の顔を見ていることができなくて、そのまま座席に身を投げ出してしまう。

(私、何口走ってるのよ……!)

 座席の上で、じたばたとした。

 たしかに、彼のことをとても素敵だと思ったのは事実だ。

 だが、その言葉をそのまま口にしなくてもよかったではないか。

 馬車の反対側にいたイザークが、そんなフェリアの様子を面白そうに見ているのに、フェリアはまったく気がついていなかった。



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第二章 悪役令嬢、隣国へ(5)

 背中に強く回された腕の力に、眩暈を起こすような気がした。

 どうすれば、いいのだろう。この状況、非常に気まずい……!

 押しつけられた広い胸板は、しっかりと筋肉がついている。腕も太くて、もう少し力を入れたら、背骨が折れてしまうのではないかという気がした。

「く、苦しい……」

 苦しいのは、呼吸ではない。もっと胸の奥深いところから込み上げてくる感情だ。その気持ちに、どう名前をつければいいのかさっぱりわからないが。

 細い声での訴えに、クラウディオは素早く反応した。

「すまない。苦しかったか。どこか痛むか」

「いえ……大丈夫、です。あの、クラウディオ様」

 言葉が、こんなにも思うようにならないのは初めての経験だった。

 こちらを見る彼のまなざしは、本当に申し訳なさそうにしゅんとしているから、今の自分の発言が過ちだったのだと正面から突き付けられているような気になってしまう。

「クラウディオ様、私……嫌では、ないんです。でも……慣れなくて……」

 嫌ではないとはどういうことだと思わず自分で突っ込むが、そう言うことしかできなかった。

 たしかに、嫌ではない。嫌ではないが、彼のことを怖いと思う気持ちも嘘ではない。

(昨日の今日で、おかしな話だけれど……)

 少なくとも、触れられて嫌な気はしなかった。自分でも矛盾していると思うし、他人にうまく説明できるとも思えない。

クラウディオを怒らせてしまってもしかなのない状況だ。

「慣れない?」

 けれど、クラウディオの示した反応は、フェリアの想像していたものとはまるで違っていた。

「そうか、慣れないか。こうやって、抱きしめられたことは?」

 今度は慎重に背中に腕が回される。そうしておいて、彼はフェリアを自分の方へと引きよせた。

「両親……とか、近しい親戚くらいで……」

 婚約していたとはいえ、ヴァレンティンとは手を握る以上のことはなかった。前世でも、男性には縁のない生活をしていたから、こんな風に抱きしめられるのは初めての経験だ。

「そうか、ではフェリア。よい夢を。ゆっくり休むといい」

 額にそっとキスされて、思わず背中をこわばらせてしまう。

 腕の力は強いのに、額に触れる唇は優しい。自分の体温より少しだけ彼の体温は高くて、その熱に心の奥がとかされていくような気がした。

「……お休みなさいませ、クラウディオ様」

 繰り返された、就寝の挨拶。

 それは、ぎこちないながらもフェリアの方から彼に向けて踏み出した一歩なのかもしれなかった。

 

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