迷宮金魚

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宇佐川ゆかり

Author:宇佐川ゆかり
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第一章 彼の心を掴むのです!(5)

「……クルト、いい加減にしてください。初対面の人をからかうのはよくないですよ」

 ふっとシアラの意識を現実に引き戻したのは、レミアスの言葉だった。彼の方へとぎくしゃくと振り返り、シアラはまた目を瞬かせる。

(……どうしよう)

 真っ先に頭に思い浮かんだのは、その言葉だった。

 扉を入った時には、床を見つめていたから目に入らなかった。扉を開いて正面にあるのは、大きな窓。

 その窓の前にあるのはマホガニー製の立派な机。おそらく、前公爵の代から用いられてきたのだろう。年月を経た家具特有のどっしりとした時代を感じさせる雰囲気だ。

 その机の向こう側からこちらを見つめているのが、ポラルーン公爵であるレミアス・バジーリウスだった。

 齢二十にして、国境の重要な地を任されている彼は、実年齢よりははるかに落ち着いた雰囲気だった。

 まっすぐな黒い髪は長めに整えられている。眼鏡をかけた怜悧そうな目元に形のよい鼻。

 少し薄めの唇は、口角が少し上がっていて冷たく見えそうな彼の容姿にほんのりとした温かさを添えていた。彼の周囲だけ光り輝いているみたいに見えて、シアラは目を見開いたままその場に固まってしまった。

「部下が失礼をしました。シアラ・リーフェンシュタール嬢、でしたね。わが城にようこそ」

 微笑んだ彼が、椅子を押しやり、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 この場から逃げ出したくなって、それでも彼の顔を見ていたくて。

(ああ、嘘、どうしよう……!)

 背は高い――天井に届きそうなクルトよりは低いが、それでも男性の平均身長よりは高い。身のこなしには隙がなく、少し細身の体格だが歩く姿勢は背筋がまっすぐでとても綺麗だ。

 茶の上質な布地で仕立てられた上着の袖口には、金糸で刺繍が施されている。

 耳の奥の方で、自分の心臓の音がやかましく鳴り響いているのをシアラは自覚した。瞬きさえ忘れ、じっと彼を見つめてしまう。

 一歩一歩、こちらに進んできた彼がシアラの前で立ち止まった。自分より背の高い彼を見上げる形になって、せわしない呼吸を繰り返す。きちんと挨拶をしなければ。これから三か月の間に彼の心を射止めねばならないのだから、最初の印象はよくしておかなければ。

 ――それなのに。

「シアラ嬢?」

 レミアスが軽く首をかしげてシアラの名を呼んだ。

 だめだ。言葉が出てこない。再会に胸がいっぱいで――どうしたらいいのか、わからなくなる。

「この城で、どれだけのことが学べるかはわかりませんが、どうぞ滞在中、ゆっくりと過ごしてくださいね」

 耳を打つレミアスの声。彼の声に、夢を見ているような気分に陥った。

 まるで、この世界にはシアラとレミアスしかいないようなそんな気さえしてくる。

 何か、何か口にしなくては。この顔合わせが終わったら、もうこんなに間近で話す機会はないだろう。

 あまりにも頭の中が真っ白で、何度も繰り返し考えてきたはずの挨拶の言葉も完全に消し飛んでいた。

「あ、あの……レミアス様……わ、私を、お嫁さんにしてくださいっ!」

 かわりに出てきたのはとんでもない言葉。

 しんと静まり返る室内。

 自分の発言に気がついたシアラの顔から、一気に血の気が引いた。なんてことを口走ったのだろう。

「あ、あの……今のは、今の発言は……忘れてくださいぃぃぃ!」

 悲鳴じみた声で叫ぶなり、シアラは身をひるがえす。

(やだやだ……私ってば、何を――!)

 まだ城に到着したばかり。どこに何があるのかもさっぱり把握していない。自分がどこに向かっているのかもわからないまま、先ほどエグモントに連れられて通った長い廊下を走り抜け、玄関ホールから庭へと飛び出した。

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第一章 彼の心を掴むのです!(4)

 途中で休憩を挟み、ポラルーン城に到着したのは、もうすぐ日が落ちようかとする頃だった。

 シアラを出迎えてくれたのは、シアラより少し年上と思われる青年だった。黒い髪に黒い瞳。にこりと笑った笑顔は優しくて、緊張が少しだけほぐれた。

「あの……行儀見習いでお世話になることになったシアラ・リーフェンシュタールです」

「僕は、エグモント・ダイメル。話は聞いているよ。ああ、僕の役目はこの城の家令みたいなものだと思ってくれればいい。レミアスの従兄弟なんだ。レミアス・バジーリウスの名はもちろん知ってるよね?」

「も、もちろんです! だって……」

 行儀見習いにお邪魔する城の主だから知っているというわけではない。だが、エグモントの前でその理由を口にするのははばかられたのでそこで口を閉じてしまった。

「そうか、じゃあ、とりあえずレミアスのところに案内する。一応、顔は合わせておかないとね」

「はい、よろしくお願いします。あの、レミアス様って……お忙しいのですよね?」

 トルアックス王国のポラルーン領は、シアラの母国ハズリット王国、それから長年の間抗争状態にあるアルバース王国と国境を接している。ハズリット王国とトルアックス王国の仲は良好で、この二か国の間の国境は安全だと言われている。

 だが、アルバース王国と接している国境は、いつ戦争になってもおかしくない。ポラルーン領主には公爵の称号が与えられており、王からこの地に関してはすべて任されていると言っても過言ではない。

「そうだね。すごく忙しいんじゃないかな――家令を任されている僕も多忙だけれど」

「あ、そう……そうですよね、変なことを聞いてしまってすみません……」

 あまりにも緊張していたものだから、何を口走っているのかもわからなかった。

 エグモントの半歩後ろをついて歩く。階段をいくつも昇り、廊下を右に曲がったり左に折れたりして、ようやく目的地に到着した。

「――レミアス、入るよ」

 エグモントの口調が、家令のそれではないのは、レミアスの従兄弟だからだろうか。

(ひょっとしたら、兄弟同然の仲とかなのかしら。年齢も近そうだし)

 シアラの推測が間違っていなければ、エグモントは二十前後。おそらく二十代に入ったところだろう。レミアスが二十歳であることを考えあわせると、この城で兄弟同然に育った仲だったとしてもおかしくはない。

「何かありましたか。今日の仕事は、終わりにしてもいいと言ったはずですが」

 扉の外にまで聞こえてきた言葉に、不意に心臓が掴まれたみたいに苦しくなった。

 シアラが聞いたことのある少年の声ではない。艶を帯びた低い大人の男性の声だ。彼と顔を合わせたのは一度きり。それも今から十年以上前なのだから、声変わりしていることくらい想定できたのに。

 扉を開き、エグモントが先に中に入る。開いたままの扉から会話する声が聞こえてきたけれど、シアラは開いた扉の陰から動くことができなかった。

「行儀見習いの子が来るって話だったの忘れたのか? ほら、アルバース王国からの。君と顔合わせくらいしとかないと問題だろう」

「ああ、今日の到着でしたね。もうこんな時間ですか――気が付きませんでした。すぐにお通ししてください」

「シアラ、中に入っておいで」

 エグモントに言われ、扉の陰から室内に足を踏み入れる。緊張のあまり、右手と右足が一緒に出てぎくしゃくした歩みになってしまう。

 その様子にぷっと、シアラの左手の方から噴き出す音が聞こえてきた。ぎぎっと音がしそうな動きで、シアラはそちらに顔を向ける。

(……すごく大きい……!)

 部屋の壁にもたれるようにして立っていたのは、シアラが今まで見たことないくらい『大きい』人だった。大きいというのは大げさではない。

 天井につきそうなほど――というのは誇張が過ぎるにしても、背が高いし、肩幅も広い。男性の平均より二回りほど胸回りも広そうで――とにかく、縦にも横にも『大きい』のだ。

 明るい茶色の髪を短く刈り上げていて、青い瞳は愉快そうにシアラを見下ろしている。

 シアラだって、女性の平均くらいの身長はあるはずなのに、急に小人になったような気がした。

「そんなに緊張して、大丈夫か? うちのご領主様は、別に取って食ったりしないけど」

「え、ええと、その、ええと、あの……」

 くすくすと笑いながら言われれば、頭の中が真っ白になった。スカートをぎゅっと掴んだまま、彼の顔を馬鹿みたいに見上げていることしかできない。

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第一章 彼の心を掴むのです!(3)

 昨日まで降り続いていた雨も、夜のうちに過ぎ去ったみたいだった。今日は雲の間から青空が顔を出し、夏が近いのだと実感させられる。

(……レミアス様、きっと素敵になってるんでしょうね)

 馬車の中で、シアラは膝の上に抱えた熊のぬいぐるみをぎゅっと引き寄せた。このぬいぐるみはシアラのお手製だ。

 今日はいよいよ『運命の人』との再会の日だ。そわそわしない方がどうかしている。

(……すごく素敵な方だって、噂ばかり聞かされたけど……本当にお目にかかれるとは思ってなかった)

 今日中に、馬車はポラルーン城に到着するだろう。

 シアラは、三か月の間そこで行儀見習いを行うことになっている。

 傍らに置いたバスケットの中におさめられているのは、道中のおやつと飲み物、それから馬車の中で使うかもしれない小物類だ。

 バスケットの蓋を開け、中から手鏡を取り出した。

(レミアス様が、どんな女性がお好みなのかもわからないんだもの。目を合わせてくださったらいいんだけど)

 可愛い女性が好きなのか、綺麗な女性が好きなのか、それとも妖艶な大人の魅力をたたえた女性が好きなのか。

 そんなに不細工でもないんだけど――とため息を一つついて、シアラは鏡に映った自分の顔を点検する。

 卵型の顔、陶器のように滑らかな頬。エメラルドの色にたとえられる深い緑の瞳。

 あえて結い上げていないふわふわとした明るい茶色の髪は、二つに分けて赤いリボンで束ねてあり、コテでふわりとさせた前髪が額にかかっている。

 美人ではなく、かろうじて可愛らしいには区分される程度の容姿。悪くはないのだ。

 だが、ポラルーン領主であるレミアスの心を射止めるにはどれだけ美人でも足りない気がしてならない。

(難しいっていうのはわかっているんだけど……でも、諦められない)

 手鏡を置き、胸元に伸びたシアラの手が、ぎゅっとそこを押さえつけた。指で探れば、銀の鎖に通して首にかけてある指輪の感触が伝わってくる。

 十年以上、何度もくじけそうになった。くじけそうになるその度に、この指輪を撫でて勇気をもらってきたのだ。

「……大丈夫。重ねた努力は嘘をつかないもの」

 懸命に自分に、そう言い聞かせる。

 レミアスに嫁ぐのだと決めたのは、十年以上前。まだ、シアラが六歳の時だった。薔薇の大祭で女王の幸運を取り上げられて泣いていたシアラに、レミアスが指輪を贈ってくれたのがきっかけだ。

 お互いにきちんと名乗ったわけじゃない。シアラがレミアスの名を知っているのは、彼がボラルーン領主の息子だと、母が彼にシアラの面倒を見させてしまった詫びをしていた時に聞いたから。

 レミアスのために、素敵な女性になると決心したのはその時のこと。それからずっと重ねてきた努力は、両親の心をも動かした。三ヵ月だけ、ポラルーン城で行儀見習いができるように手を打ってくれたのだ。

『ポラルーン城で行儀見習いができることになったから、その間だけ頑張っておいで』

 そう言って送り出してくれた両親は、シアラがレミアスの心を射止めるなんてまったく信じていないだろう。

(……三か月なんて、短すぎるわ)

 想いを育ててきたのは十年以上。以来、レミアスにふさわしくあるように勉強してきたけれど、その想いに三ヵ月で決着をつけることなんてできるのだろうか。

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第一章 彼の心を掴むのです!(2)

 母が厨房に立っているのを見かけたのは、それから十日ほどが過ぎた日のことだった。頬の腫れはひき、右手の捻挫もほとんど完治している。

 あの日の無茶な行動をクルトにも詫びたら、「お前が頭に血が上りやすいのはちゃんとわかっているから大丈夫だ」と彼は笑って許してくれた。

 叔父夫婦の息子であり、将来の家令を務めてくれる予定のエグモントはもう少し辛辣だった。「僕が君をいつでも守れるとは思うなよ――」と言いつつも、彼の表情は心配していると告げてきたから申し訳なくなる。

 厨房からいい香りがするので、そこをのぞいてみたら母がオーブンの前に立っていた。

「母上、寝室から出てきてもよいのですか」

「今日は、とても気分がいいから、久しぶりにサクランボのチーズケーキを焼いてみたの。口に合うといいのだけど。あとクッキーも焼いたのよ。お茶にしましょう」

 公爵の夫人でありながら、母は厨房に立つのが好きだった。刺繍や裁縫はあまり得意ではないが、甘い菓子を焼くのは得意だ。特にサクランボをたっぷり使って焼いたチーズケーキはレミアスの好物なのである。

「母上のケーキならうまいに決まってる。クッキーも久しぶりですね。クルトとエグモントにも分けてやりましょう」

 母の焼いた菓子でお茶の時間を楽しむ。それは父を亡くした後、十四歳でポラルーン領を継がざるを得なかった彼にとって、心行くまでのんびりできるわずかな時間でもあった。

 まだ寝台を離れられないクルトの部屋でお茶をしてもいいか本人にたずねようとしたレミアスは、うきうきしながら厨房を出ようとした。だが、その時、どさりという音がして慌てて振り返る。

「は、母上っ!」

 振り返った時には、今の今まで元気に菓子を焼いていた母が厨房の床に倒れていた。

 レミアスはすぐに母を抱き上げ、寝室へと走りながら城につめている医師を呼ぶよう命じる。だが、呼ばれてきた医師は首を横に振るだけだった。もう、手の施しようがないらしい。

「レミアス――この地をお願い。あなたの代で、この地を失うようなことにはしないで。この地を守ってちょうだい――お願いよ」

 先ほどまで気分がいいと言って厨房でケーキを焼くほどに元気だったのに――。

 今、改めて母がずいぶん痩せてしまったことに気付いたレミアスは頭を殴られたような気がした。病に冒されているのはわかっていた――だが、なんとなく母は不死身のような気がしていたのだ。

「約束して。お願い――この地を守ってちょうだい」

 レミアスの手を握る母の手はずいぶんと冷たい。死が間近に迫っていることを意識しながら、レミアスは微笑んだ。

「約束する、母上――いや、約束します、母上。母上のお言葉、しっかりと胸に刻みます」

 これ以上、母に心配をかけてはならない。レミアスがそう約束すると安心したように母は微笑んだ。

 母が眠るように死んだのは、それから二日後のことだった。無表情のレミアスに、従兄弟のエグモントが声をかけてくる。

「――レミアス、気を落とすなよ。僕もクルトもついているから」

 エグモントが、そっとレミアスの肩に手を置く。彼の手の温かさも、レミアスにはほとんど感じられなかった。心が凍り付いたみたいだ。数度瞬きをし、一つ深呼吸をしたあと静かに告げる。

「『私』は大丈夫です――今後のことは、叔父上達に相談しましょう。まずは、公爵夫人にふさわしい葬儀を執り行わなければ」

「……レミアス?」

 不意に声音も口調も変わったレミアスに、エグモントは驚いたように目を見張る。そんな彼を促し、レミアスは執務室へと足を向けた。

「眼鏡が欲しいですね。眼鏡を商う商人を城に呼んでもらえますか」

 この地を守って――その、母の言葉がレミアスを縛る。

 表情を読まれたくなければ、口ほどにものを言ってしまう瞳を眼鏡の奥に隠さなければ。意図して、穏やかな口調を作る。母亡き今、激高したレミアスをいさめてくれる人はいないのだ。

 この日以来、レミアス・バジーリウスは人が変わったように落ち着いた。

 ポラルーン領が史上最大の繁栄を誇るようになったのは、それから三年後のこと。国境を越えて侵犯してきたアルバース王国の軍を撃退した後だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

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第一章 彼の心を掴むのです!(1)

「レミアス・バジーリウス。そこにお座りなさい」

 病に臥していながらも母の声は厳しさを失ってはいなかった。

 父が亡くなって半年。以前から病弱な母ではあったけれど、葬儀を終え、レミアスがポラルーン公爵の地位を正式に継いでからは一日ベッドから動けないことが増えた気がする。

「――はい。母上」

 言われるままに、レミアスはベッドの傍らに置かれている椅子に腰を下ろした。

 幼い頃から輝くような美しさの持ち主、と言われてきたレミアスであったが、今は両頬が腫れ、右手首には包帯が巻かれているという散々な状況だ。

「今日、無茶をしたのですって?」

「――だって、それは」

「口ごたえは許しません。自分の置かれている立場というものをよく考えなさい。感情の暴走するままにあなたが動いては、他の者に迷惑をかけることになるでしょう。今回、クルトも重傷を負ったと聞いていますよ」

 親友であり護衛役であるクルトに怪我をさせてしまったのは本当のことだったから、レミアスは唇を引き結んだ。

 なぜ、彼がこんな怪我を負っているのかというと、城下町の視察に出た際、子供を誘拐しようとしている一団に出くわしたのだ。

 国境では戦が続く中、父が戦死したことで城下町は不安におびえる人達が多数いた。人々の心に安寧をもたらすためにも、新領主となったレミアスは、子供をさらい、売り飛ばそうとしている者達相手に容赦することなんてできなかった。

 子供をさらおうとしている――それを見て取った瞬間、頭に血が上った。護身のために携えていた剣を抜き、後先考えず男達に切りかかったのである。クルトをはじめとした護衛の者達が止めるのも耳に入らなかった。

 領主を相手にしているなんて知らない男達は当然死に物狂いで抵抗してきた。最初に吹っ飛ばされ、地面に倒れたところを両頬を殴られた。倒れた時に剣を飛ばしてしまい、右手で必死に短剣を抜いて男の脇腹に突き立てたのである。手首の捻挫はその時に負ったものだ。

 レミアスは右手首の捻挫と両頬を腫らせたくらいですんだのだが、クルトは重傷だ。命に別状はないというが、少なくともひと月は勤務に戻れないだろう。

「――一歩間違えれば、あなたもクルトも命を落としたのかもしれないのですよ。そのことはよく覚えておきなさい」

「――はい、母上。肝に銘じて覚えておきます」

 レミアスが素直に反省の弁を口にすると、母はぐったりとしたように枕に身を預けた。

 それ以上、口をきくのも億劫なようで、片手をわずかに動かし、出ていくようにと合図する。

「失礼します、母上――ゆっくりお休みください」

 そのままレミアスは静かに部屋を立ち去った。

 ――まだ十四歳。もう十四歳。

 廊下を歩きながら考えるどちらが正解なのだろう。

 父が亡くなって爵位を継いだ。領地を治めるにあたり、実務では父の弟夫婦が支えてくれている。今、国境での戦も、叔父が指揮を執ってくれていて、もうすぐこちらの勝利で決着しそうだという報告は受けていた。

(……俺は、父上にははるかに及ばない)

 壁にもたれるようにして、深々とため息をついた。秀才だ、と褒め称えられてはいても、父と比較すれば圧倒的に経験不足だ。

 感情の制御だってままならない。

 父ならば、あの時自分から飛び出していったりしないだろう。今後はもう少し落ち着いて物事を判断するようにしなければ。

 

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