迷宮金魚

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宇佐川ゆかり

Author:宇佐川ゆかり
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えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!試し読み(14)

(いつか、なんて……想像していたから、こんなことになるのよ)

 ブライアスとヴィアナが離ればなれになったのは、今から十年前のこと。

 初恋――と、当時のヴィアナがそれを認識していたわけではなかったけれど、今思えば確かに初恋だったのだと思う。

 もし、いつかキスするなら――というふわふわした想像の中の相手は、一緒に遊んだり昼寝をしたりおやつを食べたりした、隣の家に住む年上の少年で。

(……それなのに)

 幼なじみは、王子様になってしまった。

 王子様とヴィアナじゃ釣り合わない。

 初めてのキスは、ブライアスだった――彼の前で拭ってしまった唇に、そっと人差し指で触れてみる。

(本当は、嫌じゃなかった……嫌じゃなかったんじゃなくて、嬉しかった)

 だけど、今のヴィアナはそれを素直に喜べる立場ではない。

 もう一度、唇に指先で触れたとたん、ヴィアナはとんでもないことを思い出した。

(私ったら――仕事放棄してる!)

 ブライアスとの間に何があったのかはともかくとして、ヴィアナの仕事は彼の快適な睡眠を確保すること。それを放棄するだなんてありえない。

 ぐっと両目を拭って、深呼吸一つ。それで、気力を立て直す。

「……失礼、しました。違う本にしましょう」

 扉を開いたら、ちょうどブライアスもこちらの扉に手をかけたところだった。近くで見ると、背が高い分迫力がある。

「――ヴィアナ」
「お休みの時間です――殿下」

 名前で呼べと言われていたけれど、あえてそれはやめる。にっこりとして見上げれば、ブライアスがたじろいだように見えた。

「今のは、謝らないからな! 俺は――」

 そこからなんと続けたかったのか、彼の言葉はそこで途切れてしまった。

 それには気づかないふりをして、ヴィアナはもう一度にっこりとした。

「お休みのお時間です。今度は私じゃなくて、ブライアス様が眠くなる本にしますね。さあ、ベッドに行ってください」

 まだ何か言いたそうにしているブライアスをベッドに押し込んで、ヴィアナは幼い頃何度も読んだ絵本を取り上げた。

こちらは2017年2月1日発売【えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!(ジュエル文庫)】の試し読みです。編集部の許可をいただいておりますが、途中までの公開となることをご了承ください。また、最終校正版ではないため、実際の書籍と多少異なるところもございます。
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えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!試し読み(13)

 こうして、ヴィアナの新しい生活は多少の波乱を含みながらも始まった。

 王城での勤めが始まって二週間。ブライアスとの間にあるぎこちなさも少しずつとれてきた。

 仕事そのものはさほど難しいことはなく、家庭教師との勉強は一週間が過ぎたところで始められた。

 仕事には問題はない。仕事はいいのだが――一番の問題はブライアスだった。

「……ブライアス様、横にならないんですか……」

 眠れなくてヴィアナを呼びつけたのだからちゃんと横になって朗読を聞いていればよさそうなのに、ベッドに枕を抱えて座っているのだから、眠る気皆無だとしか思えない。

「私の仕事は、ブライアス様の寝かし付けだと思ってたんですけど……?」
「今日はこうやって聞きたい気分なんだ。眠気がきたら、横になる」

 用心深くブライアスとの距離をあけてしまっても、しかたのないところだと思う。
 だって、ブライアスは全然信用できないのだ――というのも、ひどい言いぐさだとは思うけれど、隙あらばくっつこうとしてくるのだからしかたない。

 指を搦めて手を握ったり、頬にキスしてきたり。その度に心臓が跳ね上がる。

「……ヴィアナ、始めてくれ」
「これは、ものすごく眠くなりそうですね」

 毎回ブライアスの指定する読み物は違うけれど、今日はなんと全国各地の農作物の収穫量についての記録だ。数字の羅列を読み上げていると、ヴィアナの方が眠くなってきてしまう。

「次、エルンディア地方、小麦が……三百ダリルが平均、二百を割り込んだ時は王城から……支援……」

 こくり、とヴィアナの首が揺れた。いけない、と慌てて体勢を立て直す。

「申し訳ありません、もう一度エルンディア地方から読み直しますね」

 ブライアスを寝かしつけに来ているのに、自分が寝かしつけられているのでは意味がない。

「前もあったな」
「何が、ですか」

 気を取り直して、もう一度報告書を取り上げたヴィアナは、目の前にブライアスがいるのに気が付いて激しく動揺した。

「昼寝をさせるんだーってちっちゃい子達を並べてさ、建国物語を読んでいるのに、お前のが先にうとうとし始めて」
「それは、子供の頃の話でしょう」
「今も寝かけてた」
「そ、それは」

 それを言われてしまうと分が悪いから、むぅっとヴィアナの口角が下がる。

(……昔みたいにしろって言われても無理よ)

 何も知らない頃なら普通にできた行為だって、今やったら不敬罪に問われたって文句は言えない。

 昔は、ブライアスの頭をひっぱたいて寝かせていたけれど、今そんなことをしたら――考えるだけで恐ろしくなる。

「……お前は、変わったな」
「大人になりました」

 ヴィアナはぷいと顔をそむけた。

 悔しいことに、ブライアスの方はあまり変わったようには思えないのだ。

 昔のような気安さでヴィアナに接しようとしてくる。それが、どれだけヴィアナをどきどきさせるのかを考えていないみたいに。

「誰が大人だ?」
「……大人です! 縁談だって、出るくらいなんだから」

 たしかに縁談は何度も出てきたけれど、その度になぜか壊れてしまっていた。

 その理由を考えることさえ、ここに来てからは放置していたけれど――きっと、ヴィアナに魅力が足りないのがいけないのだろう。

 小さな領地しか持っていない領主の娘。持参金があるとか美しいとかあれば別だけれど、どちらも持ち合わせてはいない。

 こうなったら、王宮で一生懸命働いて、使用人の最上位にまで上り詰めてやる――なんていうのは、ちょっと張り切りすぎだろうか。

「では、違う本にしましょうか。私が寝ないですむように」

 ちくりと胸を過ぎった痛みからは目をそらすようにして、ヴィアナは微笑みかける。

(ここには仕事をするために来ているんだから……)

 けれど、ヴィアナのそんな気持ちにはかまうことなく、ブライアスは手を伸ばしてきた。そして、本をサイドテーブルの上に置こうとしたヴィアナの腕を捕らえる。

「……眠れなくなりますよ」

 ブライアスが、そうやって手を伸ばしてくるのにももう慣れたけれど……そうされる度にあの頃とは違うのだと思わされてしまって胸が痛い。

「あのっ……ブライアス様……」

 腕を捕らえただけではなく、枕を放り出したブライアスはヴィアナの方へと上半身を傾ける。

 ぐっと腕を引かれたら、彼の方へと倒れ込んでいた。懐かしい香りが鼻をかすめて、胸がずきりとする。

「縁談が……あるのか?」

 低い声で問いかけられて、ヴィアナはおののいた。その底に怒りがこもっているように思えて。

「ある、と言うか……あった、と言うか」

 自分でも認めたくなかった。もう会えないと書かれた手紙を受け取った時の惨めな気分を思い出して、唇が震える。

「でも、もういいんです。私はずっとお城で働きますから」
「……ヴィアナ」

 手を掴む手に力が加わる。

(……なんだか、まずい……雰囲気……?)

 頭の隅でそう警鐘が鳴ったけれど、その警鐘はあまりにも遅かった。

 顎に手がかかって、彼の方へと顔を上向けられる。ぱちぱちと二度瞬きをしたけれど――次の瞬間、ヴィアナはぎゅっと目を閉じた。

 彼の唇が、ヴィアナの唇を覆っている。これは……キス、だ。それも生まれて初めての。

「……んっ」

 思わず漏らした吐息は、自分自身が驚いたほどに甘かった。

 彼の唇が触れている感覚が気持ちよくて、そのまま、彼の胸に身体を預けてしまう――けれど、次の瞬間、ヴィアナは思いきり彼を突き飛ばしていた。

「な、何を……!」

 今、キスされたばかりの唇を、思いきり手で拭う。

(こんなはずじゃなかった……)

 目にじわりと涙が浮かんで、ブライアスをにらみつけていた。

「ひどい! 私、初めてだったのに――!」

 床の上に転がるようにして下りて、そのままばたばたとドアの方に向かう。

「ヴィアナ!」

 ブライアスが呼び止めるのも、聞こえなかったふりをした。

(……初めて、だったのに)

 扉を閉めて気が緩んだのか、次から次へと涙が溢れてくる。

 きっと、彼にとってはほんの戯れ。

 幼かった頃のひとときを一緒に過ごした相手が目の前にいたから。手の届くところに座っていたから。それだけだとわかっているのに。

こちらは2017年2月1日発売【えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!(ジュエル文庫)】の試し読みです。編集部の許可をいただいておりますが、途中までの公開となることをご了承ください。また、最終校正版ではないため、実際の書籍と多少異なるところもございます。
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えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!試し読み(12)

(……ちょっと、話しかけにくいな)

 ヴィアナと同じ年齢の少女達も何人か見かけたけれど、もう完全にグループができあがっている。

 しかたなく隅っこの席に一人で座って食べたけれど、王宮の料理はとてもおいしかった。

 パンに野菜のスープ、それにメインの魚のフライ。茹でた付け合わせの野菜は、王宮の菜園で取れたものなのだそうだ。

 急いで食事を終えて席を立つ。

(さっき聞いたら、そろそろ戻ってくるって言ったっけ。今日は枕元の本でいいんだろうけど、明日はどうしたらいいのか、忘れずに確認しなくちゃ)

 部屋に戻って、次はどうすべきなのかと考える。ブライアスが戻ってくる前に、寝室に行かなければ。でも、入りにくくて扉の前でもじもじしていたら、あっという間に時間が過ぎ去ってしまった。

「……あ」

 壁のベルがりんりんと鳴っている。ブライアスに呼び出されることになってしまって、慌てて扉を開いた。

「……あの」

 部屋の入口のところに立ったまま、そこから中に入ることができない。

(そうよね、それはよく考えたらそうなんだけど)

 だって、ヴィアナの仕事は、彼が眠りにつくまで側にいることだ。

 まさか服を着たまま寝るとは思っていなかったけれど、風呂上がりのブライアスはなぜか上半身裸のままだった。下半身にはきちんと寝間着のズボンを身に着けているけれど、ヴィアナには刺激が強すぎる。

「あのっ……あのっ……」

 まだ濡れていて、ぺたりとはりついた髪が、彼を今までとは違う雰囲気に見せている。それはまだいい――けれど、そこから先がいけない。

 上半身は何も着ていないから、よく鍛えられた腕だの、首の筋肉だの、服の上から思ってよりずっと厚い胸板だの――目のやり場に困る。

(見てはいけないのもわかってるんだけど……)

 ちらっと彼を見上げて、また視線を落とす。これから先、どうしたらいいんだろう。

 扉のところでもじもじしていたら、なんと彼の方からこちらに近寄ってきた。

「なっ、なっ――」

 心臓に悪い、心臓に悪すぎる――。

 耳まで一気に熱くなって、自分が自分でなくなったような気がする。

(こ、これじゃ仕事にならないじゃないの……)

 ぎゅっと目を閉じていたら、両耳の脇に彼が手をついて、腕の中に閉じ込められた気配がした。扉を背にしたまま逃げ場を失ってしまって、もっと強く目を閉じる。

「何をそんなに硬くなってるんだ?」

 わざと耳の近くに、ブライアスが唇を寄せる。

 ――ズルイ。

 そう言いたかったけれど、言葉にはならなかった。

 十年前、急にいなくなってしまった少年と再会した。たんなる貴族のおぼっちゃんだと思っていたら、もうすぐ王様になる人だと聞かされた。

 それだけでも、ヴィアナの方は精一杯。既に始まっている新しい仕事のことで頭はいっぱいなのに、彼はこうやってヴィアナを翻弄しようとする。

「……ね、寝る時間……ですよね?」

 首を振れば、耳にふっと息をふきかけられる。悲鳴を上げそうになったけれど、ぎりぎりのところで呑み込むことに成功した。

「テーブルの一番上に積んである本。適当な場所からでいい。俺が眠ったら、ランプは消して、そのまま出てってくれ」
「……はい、ブライアス様」
「昔みたいに呼べと言っただろ?」

 低い艶めいた声が耳元でささやく。できません、と返そうとしたら今度は頬にキスされた。

「ひゃあっ!」

 今度は我慢できずに変な声を上げてしまって、ついでに目を見開いてしまう。正面に彼の胸があって、慌てて目を閉じた。

(……こんなことくらいでいちいち動揺している場合じゃないのに……)

 そうは言っても、心臓がどきどきするのだからしかたない。

 ヴィアナがかちかちに固まって離れるのを待っているとようやく気が付いたらしく、ブライアスが離れていく気配がする。

 歩きながら、寝間着の上を羽織っているばさばさという音も聞こえてきた。

 目を閉じたまま、ヴィアナは心臓に手を当てた。そこは恐ろしいくらいにどきどきしていて、今でもヴィアナが動揺していることを告げてくる。

「……いつまで目を閉じているんだ。さっさと始めてくれ」

 今度は彼の声が、部屋の中央から聞こえてくる。

(いつまでって……からかったのはそっちなのに……)

 きっと、昔なら思った通りのことを口にしていた。でも、今は言うことができない。

 彼との間にある身分差が、恐ろしいほど大きなものであることを、大人になった今はちゃんと理解することができるから。

 そろそろと薄目を開けると、ベッドの中央が膨らんでいる。どうやら本当に横になってからヴィアナを呼んだようだ。

 また、何か仕掛けてくるのではないかとヴィアナはおそるおそるベッドの方に近づいた。

「一番上の本だ。わかるだろ」
「はい、……ブライアス様」

 ベッドの側には椅子が一脚用意されている。テーブルの上に積まれている本の中から一番上の本を手にとって、ヴィアナはその椅子に腰を下ろした。

 羽毛布団の中からにょっきりと手が突き出てきて、ヴィアナの手を握る。指を搦めて握るのは、幼い頃から変わらなかった。胸が甘く疼いて思わず口にしていた。

「……懐かしい、ですね」
「俺は懐かしくない。ヴィアナが他人行儀だからつまらない」
「他人行儀じゃないですよ……前とは違う、から」

 これが隣の家に住んでいたただの男の子との十年ぶりの再会なら、きっともっと違った感慨を持てたのだろうと思う。

 けれど、ブライアスはそうではなかった。再会した彼はあまりにも雲の上の人で。ヴィアナがうかつな行動を取れば、彼に迷惑をかけることになってしまう。

(……どうして、こんなにちくちくするのかしら)

 ヴィアナの手を離した彼は、その手を上掛けの上に投げ出したまま読み始めるようにヴィアナを促す。ヴィアナは、ゆっくりと読み始めた。

 ブライアスが枕元に積んでいたのは、子供の頃、弟妹によく読み聞かせをしていた物語だった。この国が建国された当時の物語――とされている。

 当時、この国を建てた王に妖精は永遠の愛を得ることができる冠を与えた。

 王は王妃の頭にその冠を載せた。こうして、この国はいつまでも平和な時を刻むことができるようになったのだ、と。

 そんなのただのおとぎ話であることくらい知っている。けれど、ヴィアナの弟妹は建国物語の絵本が大好きで、毎日何回も読み聞かせをするようねだってきた。

 ヴィアナが読み聞かせをしているところに割り込んできたのがブライアスで――。

(……あの頃は、なんて楽しかったのかしら)

 もう、何回も読んだ本だから、内容は完全に頭に入っている。ヴィアナはゆっくりと読み始めた。

 物語が始まってすぐ、ブライアスの方からすぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてくる。

 ランプの明かりの中、少しだけ彼の顔が疲れているように見えた。

(……もし、私が読み聞かせをするくらいでちゃんと寝られるなら……それでいいんだけど)

 上掛けの上に放り出されたままのブライアスの手を、そっと中に入れてやる。少しでも役に立てたらいい――。

(だって、私はここに働きに来たんだから)

 バートにもよくやっていると、認められるくらいに頑張ろう。音を立てないように、そっとその部屋を後にした。

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えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!試し読み(11)

「今日、到着したばかりで悪いけど、今から仕事にかかってもらうよ。まずは、殿下の寝室の掃除――今日の分は終わっているから、やり方だけ覚えてもらう」

 ヴィアナの仕事は、ブライアスの寝室を整えることと、寝る前の読み聞かせ――あとは、バートの手が回らない時には、ちょっとした身の回りの世話もするらしい。

 図書室に彼の読みたい本を取りに行くのも、彼が寝室で読むのに持ち出してきた本を返すのも、ヴィアナの仕事になるそうだ。

 目をぱちぱちとさせていたら、バートがつかつかと壁に作りつけられている洋服ダンスに歩み寄った。

「寝室に花を飾るのもいいと思うよ。絵の架け替えは季節ごとだけど、これは僕の方でやるから、細かいことは気にしなくていい。じゃあ、ここに制服が入ってるから、それに着替えたら、そこの扉を開いて隣の寝室に来て」
「か、かしこまりました」

 いよいよこれから仕事が始まる。そう思えば、この贅沢な部屋の中でも身の引き締まる思いだった。

 指示されたとおり、作りつけられた洋服ダンスの扉を開く。そして、もう一回「うそぉ」とつぶやいてしまった。

 タンスの中には、使用人の制服が用意されている。

 でも、そこに置かれていたのはそれだけではなかった。紺色の制服の他に色とりどりのドレスが下げられている。

「なんでこんなものまであるのかしら……っと、急がないと」

 ヴィアナは慌てて、着ていた服を脱いで、制服に着替える。

 制服は白いレースの襟のついた紺色のシンプルなものだ。袖はふわっとふくらんでいて、二の腕のところからはぴったりと腕に沿っている。袖口にも襟と同じレースが飾られていた。

 制服の上に白いレースのエプロン、ヘッドドレスをつけたら身支度終了だ。鏡を見て、ヘッドドレスが曲がっていないことを確認する。

 お城の使用人は、毎日こんなものを着ないといけないのだから大変だな――と、ちょっとだけ城の使用人に同情した。ヴィアナもそこに加わったわけだけど。

「バートさん、お待たせしました」

 急いで着替えたけれど、それでも思っていたより時間がかかってしまった。

 慌てたヴィアナが隣の部屋に入っていくと、バートはにこにこしながら待っていた。

「大丈夫、焦らなくてもいいよ……ええと、まずは寝室の整え方から」

 ブライアスの寝室は、ヴィアナの寝室と同じくらい広かった。ここを毎日掃除するのがヴィアナの仕事だ。

 ブライアスの寝室の方は、白を基調に整えられていたヴィアナの寝室とは違って落ち着いた茶色を基調に調えられていた。

 壁の本棚には、王城の図書室から持ち出してきた本が置かれていて、机の上にも何冊もの本が積み上げられている。

「机の上に置かれているものには、触らないようにね」
「わかりました」

 その他にも仕事をする上で大事な注意をこまごまと受けた。

 王城ではプロの仕事が求められる。自分のベッドを調える時には見なかったことにするシーツの皺もここでは許されない。

 寝室の確認が終わってから、バートに図書室まで連れて行ってもらう。

 このお城は広いから、地図を持っていないとすぐに迷ってしまうことになりそうだ。

 案内された図書室は、今までいた棟とは違って、ちょっと古い雰囲気だった。もともとはこの棟が王族の私的な空間だったのが、新しい棟を建て増ししたので王族の私室は移動になったのだという。

「……図書室はちょっと遠いんですね」
「迷わないように注意してね。幽霊が出るっていう噂もあるし」
「からかわないでください」
「からかってるように見える?」

 真顔でそういうことを言うのは反則だと思う。こちらの棟は急に雰囲気が暗くなるので、夜に本を返しに来るのはごめんこうむりたいところだ。

 一通りの仕事を教わった時には、完全にくたびれ果てていた。そんなヴィアナに向かって、バートは言う。

「もう少し仕事に慣れたら、君に家庭教師をつけるから」
「か、家庭教師……ですか?」

 実家にいる時に、きちんと家庭教師について学んできたから、最低限必要な教養は身に着けていると思う。

 そう反論したら、バートはふぅっとため息をついた。

「もちろん、君に文句があるわけじゃないよ、ヴィアナ。ただ、ここはお城だからね。君のマナーがなってないとブライアス様が悪く言われることになるし、お城にはお城の特殊な決まりがいろいろあるから」
「あ……ご、ごめんなさい。そうですよね」

 ヴィアナはうつむいてしまった。

 自分では恥ずかしくないだけの行儀作法を身につけてきたと思っていたけれど、王城で働くにはきっといろいろ足りていないのだろう。

「素直なのが、君のいいところだよ。忙しくなると思うけど、君ならがんばれるよね」
「はい、頑張ります!」

(……ブライアス様の役にたてるんだもの)

 わざわざヴィアナのために家庭教師をつけてくれようというのだ。きちんと勉強しないと罰があたってしまう。

「お城の使用人って大変なんですね……」

 十五歳の時に家庭教師は卒業して、もう勉強しなくてもいいと思っていたヴィアナはちょっぴりげんなりしたけれど、王宮で働く以上みっともない真似はできない。

「……あら?」

 不意に、ヴィアナは気がついた。身分の高い人に会うかもしれないという話だったけれど、国王夫妻にはまだ会っていない。

 いや、ヴィアナ程度の存在を雇ったところでいちいち顔を合わせる必要もないのだろうけれど、今日一日遠くからちらっと見る機会さえなかった。

「あの、王様と王妃様はどちらにいらっしゃるんですか? 今日、お見かけしなかった気がするんですけど」
「ああ……国王夫妻ね」

 ヴィアナに問いかけられたら、なぜだかバートはちょっぴり遠い目になった。それから、そんな顔をしてしまったことを隠すように首をぶんぶんと振る。

「細かいことは、気にしなくていいよ――国王夫妻は、今は休養中なんだ」
「休養中?」
「ああ、ほら……退位を決めて半分引退というか……もちろん、ブライアス様の手に負えないことが出てきたらすぐに対処できるようにはしてるんだけど、遠くから見守っているという感じかな。今はお二人でのんびり過ごしてらっしゃるよ」
「……そうなんですね」

 国王夫妻を遠くからでも見ることができたなら、家族への自慢話になると思ったのに。

 とはいえ、これからずっとお城で働くのだから、いずれどこかで見かける機会くらいはあるだろう。

 使用人達は、お城の一角にある使用人用の食堂で食事をすることになっている。ヴィアナがそこに駆けつけた時には、大半の人が食べ終えて席を立ったあとだった。

 食堂にはいくつものテーブルが並んでいて、皆、思い思いに食事をしている。

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えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!試し読み(10)

第二章 お休み係ってなんですか

「あいたたた……」

 妙な格好でソファの上にいたものだから腰が痛い。ヴィアナは腰をさすりながら、廊下を歩いていた。

 ここに来た時同様、数歩前を歩いていたバートが苦笑いで振り返る。

「いきなり大変な苦労を押しつけてしまったみたいで申し訳ないね」
「いえ、それは別にかまわないんですけど」

 手にしているのは実家から持ってきた小さな鞄一つ。王城では、制服も下着も全て新品が支給されるので、必要最低限のものだけを持参するようにと言われていた。

 その鞄を手に、ヴィアナが今ぺたぺたと歩いているのは、恐れ多いことに王城の中でももっとも私的な空間だ。

 ここに出入りを許されるのは王族、一部貴族に、王族の世話をすることを命じられている使用人のみ――そして、ヴィアナもその一人になぜか加えられたというわけだ。

「君を呼んだのは正解だったね。ブライアス様があんなにぐっすりお休みになったのは久しぶりのことだから」
「刷り込みじゃないですか。子供の頃――いつも、私の読み聞かせで寝てたから、私の声に何かあるんでしょう、きっと」

 結局、お茶を飲み終えた後、ソファの上でブライアスは眠り込んでしまった。

 どうしたものかわからず、ずっと下敷きになっていたけれど、前日ブライアスは徹夜だったそうだ。

 結局、いくら何でもおかしいとバートが様子を見に来るまで、ブライアスはヴィアナの上で眠りこけたままだったのだ。

(男の人一人支えるのって重いのよね……)

 ヴィアナも声を上げてバートを呼べばよかったのだろうけれど、できなかった。妙な格好で眠ったブライアスを支えていたから身体のあちこちが痛い。

「でも――お休み係って名称はあんまりだと思うんですよ! もっと、こう何かないんですか」
「寝かしつけ担当とか?」
「そ、それもどうかと……」
「いいんじゃないかな、お休み係。可愛くて僕は好きだけど」
「問題はそこじゃないですよ……?」

 バートってこんな人だっただろうか。いまいち会話が噛み合ってないような気がしてならない。

 アルヴィン国王の退位が決まって三カ月。それ以前から少しずつ政務を任されていたブライアスの肩に一気に責任がのしかかることになった。

 むろん、そのための準備は進めてきたけれど、気が付いたらあまり眠れなくなっていたのだという。

 寝不足が続けば政務にも差し障りが出てくる。そこで、ヴィアナに声がかかったというわけだ。

「ブライアス様が、冗談で『ヴィアナが本を読んでくれたら眠れるかもしれない』って言った時には、僕もまさかって思ったけど――あそこで寝落ちてたってことはそうなんだろうね」
「……お役に立てるなら、別にいいんですけど」

(どうせ、あのまま実家にいても……あまりいい思いはできなかっただろうし)

 そんなわけで、ヴィアナの仕事は王太子専属の世話係――というか、主に寝かしつけ担当、というか彼の快適な睡眠時間の確保が仕事なのだそうだ。

「だから、君の部屋はブライアス様のすぐ隣だよ。夜中に眠れなくなったら呼び出される可能性もあるし」
「は、はぁ……」

(なんだか、大変なことになってしまったかも……)

 と思って気が付いた。

(というか、ブライアス様が結婚したら、その役目って必要なくなるんじゃ)

 それは困る。とても困る。一生結婚しないでお勤めするつもりで来たのだから。ぱたぱたと足を速めて、バートに追いついてからたずねる。

「あのですね、ブライアス様が結婚したらどうなるんでしょう? 他の職場、世話してもらえたりします? 一生働けないと、私、ちょっと困る……」
「あ、うん……だ、大丈夫じゃないかな……?」

 ヴィアナが問いかけると、バートは視線をそらした。天井を見上げて、それはもう実にわかりやすく質問をはぐらかそうとする。

「なんで、そこで目をそらすんですか」
「い、いや、たいしたことじゃないし。大丈夫、もし、君の仕事が必要なくなったら、僕が責任持って新しい仕事を見つけてあげるから」
「お願いしますね? 本当ですよ?」

 なんて、バートにお願いしているうちにヴィアナの部屋に到着した。

 バートが扉を開けてくれて、ヴィアナは室内に足を踏み入れた。

「う……嘘ぉ……」

 真っ先にヴィアナの口から出てきたのは、その一言だった。

 部屋の中央には、どーんと天蓋つきのベッドが鎮座している。天蓋から吊られた白いレースのカーテンがベッドの周囲を覆っていた。

 ベッドから少し離れた壁際には、鏡の縁が金色の鏡台が置かれている。

 窓の側には立派なデスクと壁には本棚。部屋のいたるところに花台が置かれていて、ピンクの薔薇の香りが部屋中に満ちていた。

 それから低いテーブルと、小花模様の布が張られたソファが置かれ、ソファにはピンクのクッションが並べられている。

 全ての家具は白を基調として、金具は全て金。その他に使われているのはさまざまな濃淡のピンクだ。いたるところ、花とレースとフリルで飾られ、部屋中がキラキラしていて、まるで――これでは、まるで。

(お姫様の部屋みたい……)

 目を丸くしたまま、ヴィアナは心の中でつぶやいた。

 実家のヴィアナの部屋はベッドと机が一つあるだけ。洋服は壁に作り付けの洋服ダンスにしまっていたので、その二つさえあれば困らなかった。

 それなのに、この部屋は実家の部屋が十個入ってもまだ大丈夫なくらい大きい。

「ここが君の部屋。気に入ってくれたらいいんだけど――内緒だけどね、全部ブライアス様が選んだんだよ」
「き、気に入るとか気に入らないとか……そんなものじゃなくて、もう圧倒されています」
「それなら、よかった。言っておくけど、ブライアス様の前では知らないふりしておいてね。僕が選んだってことになってるから」

 素直なヴィアナの言葉に、バートは嬉しそうに笑った。

(これ、全部ブライアス様が選んでくれたの……?)

 あの彼が、ヴィアナのためにこんな可愛らしい家具をそろえてくれたのかと思うと――とてもどきどきする。

 側に行くよう促されて、立派な天蓋付きのベッドに近寄る。ベッドに置かれている寝具もまた、白一色だった。上掛けと枕カバーにはレースがあしらわれている。

「これ……シルク……ですよね?」

 枕カバーに手を触れて、その滑らかさに顔がひくつく。敷布も、上掛けもぜーんぶシルクで統一だ。

 こんな高価な寝具で眠れる人がいるのなら、顔を見せてもらいたい――いや、ヴィアナの雇い主がそうだったか。
 
「そう? でも、ここは王城だからこんなもんだよ。君は個室だからちょっとだけ特別だけど、寝具はどの使用人部屋もいい品を置いているから」

 その言葉に、ヴィアナは改めて周囲を見回す。

(絶対に、落ち着かない……!)

 こんなにもだだっ広い部屋でちゃんと眠れるのだろうか。

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