迷宮金魚

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宇佐川ゆかり

Author:宇佐川ゆかり
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えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!試し読み(12)

(……ちょっと、話しかけにくいな)

 ヴィアナと同じ年齢の少女達も何人か見かけたけれど、もう完全にグループができあがっている。

 しかたなく隅っこの席に一人で座って食べたけれど、王宮の料理はとてもおいしかった。

 パンに野菜のスープ、それにメインの魚のフライ。茹でた付け合わせの野菜は、王宮の菜園で取れたものなのだそうだ。

 急いで食事を終えて席を立つ。

(さっき聞いたら、そろそろ戻ってくるって言ったっけ。今日は枕元の本でいいんだろうけど、明日はどうしたらいいのか、忘れずに確認しなくちゃ)

 部屋に戻って、次はどうすべきなのかと考える。ブライアスが戻ってくる前に、寝室に行かなければ。でも、入りにくくて扉の前でもじもじしていたら、あっという間に時間が過ぎ去ってしまった。

「……あ」

 壁のベルがりんりんと鳴っている。ブライアスに呼び出されることになってしまって、慌てて扉を開いた。

「……あの」

 部屋の入口のところに立ったまま、そこから中に入ることができない。

(そうよね、それはよく考えたらそうなんだけど)

 だって、ヴィアナの仕事は、彼が眠りにつくまで側にいることだ。

 まさか服を着たまま寝るとは思っていなかったけれど、風呂上がりのブライアスはなぜか上半身裸のままだった。下半身にはきちんと寝間着のズボンを身に着けているけれど、ヴィアナには刺激が強すぎる。

「あのっ……あのっ……」

 まだ濡れていて、ぺたりとはりついた髪が、彼を今までとは違う雰囲気に見せている。それはまだいい――けれど、そこから先がいけない。

 上半身は何も着ていないから、よく鍛えられた腕だの、首の筋肉だの、服の上から思ってよりずっと厚い胸板だの――目のやり場に困る。

(見てはいけないのもわかってるんだけど……)

 ちらっと彼を見上げて、また視線を落とす。これから先、どうしたらいいんだろう。

 扉のところでもじもじしていたら、なんと彼の方からこちらに近寄ってきた。

「なっ、なっ――」

 心臓に悪い、心臓に悪すぎる――。

 耳まで一気に熱くなって、自分が自分でなくなったような気がする。

(こ、これじゃ仕事にならないじゃないの……)

 ぎゅっと目を閉じていたら、両耳の脇に彼が手をついて、腕の中に閉じ込められた気配がした。扉を背にしたまま逃げ場を失ってしまって、もっと強く目を閉じる。

「何をそんなに硬くなってるんだ?」

 わざと耳の近くに、ブライアスが唇を寄せる。

 ――ズルイ。

 そう言いたかったけれど、言葉にはならなかった。

 十年前、急にいなくなってしまった少年と再会した。たんなる貴族のおぼっちゃんだと思っていたら、もうすぐ王様になる人だと聞かされた。

 それだけでも、ヴィアナの方は精一杯。既に始まっている新しい仕事のことで頭はいっぱいなのに、彼はこうやってヴィアナを翻弄しようとする。

「……ね、寝る時間……ですよね?」

 首を振れば、耳にふっと息をふきかけられる。悲鳴を上げそうになったけれど、ぎりぎりのところで呑み込むことに成功した。

「テーブルの一番上に積んである本。適当な場所からでいい。俺が眠ったら、ランプは消して、そのまま出てってくれ」
「……はい、ブライアス様」
「昔みたいに呼べと言っただろ?」

 低い艶めいた声が耳元でささやく。できません、と返そうとしたら今度は頬にキスされた。

「ひゃあっ!」

 今度は我慢できずに変な声を上げてしまって、ついでに目を見開いてしまう。正面に彼の胸があって、慌てて目を閉じた。

(……こんなことくらいでいちいち動揺している場合じゃないのに……)

 そうは言っても、心臓がどきどきするのだからしかたない。

 ヴィアナがかちかちに固まって離れるのを待っているとようやく気が付いたらしく、ブライアスが離れていく気配がする。

 歩きながら、寝間着の上を羽織っているばさばさという音も聞こえてきた。

 目を閉じたまま、ヴィアナは心臓に手を当てた。そこは恐ろしいくらいにどきどきしていて、今でもヴィアナが動揺していることを告げてくる。

「……いつまで目を閉じているんだ。さっさと始めてくれ」

 今度は彼の声が、部屋の中央から聞こえてくる。

(いつまでって……からかったのはそっちなのに……)

 きっと、昔なら思った通りのことを口にしていた。でも、今は言うことができない。

 彼との間にある身分差が、恐ろしいほど大きなものであることを、大人になった今はちゃんと理解することができるから。

 そろそろと薄目を開けると、ベッドの中央が膨らんでいる。どうやら本当に横になってからヴィアナを呼んだようだ。

 また、何か仕掛けてくるのではないかとヴィアナはおそるおそるベッドの方に近づいた。

「一番上の本だ。わかるだろ」
「はい、……ブライアス様」

 ベッドの側には椅子が一脚用意されている。テーブルの上に積まれている本の中から一番上の本を手にとって、ヴィアナはその椅子に腰を下ろした。

 羽毛布団の中からにょっきりと手が突き出てきて、ヴィアナの手を握る。指を搦めて握るのは、幼い頃から変わらなかった。胸が甘く疼いて思わず口にしていた。

「……懐かしい、ですね」
「俺は懐かしくない。ヴィアナが他人行儀だからつまらない」
「他人行儀じゃないですよ……前とは違う、から」

 これが隣の家に住んでいたただの男の子との十年ぶりの再会なら、きっともっと違った感慨を持てたのだろうと思う。

 けれど、ブライアスはそうではなかった。再会した彼はあまりにも雲の上の人で。ヴィアナがうかつな行動を取れば、彼に迷惑をかけることになってしまう。

(……どうして、こんなにちくちくするのかしら)

 ヴィアナの手を離した彼は、その手を上掛けの上に投げ出したまま読み始めるようにヴィアナを促す。ヴィアナは、ゆっくりと読み始めた。

 ブライアスが枕元に積んでいたのは、子供の頃、弟妹によく読み聞かせをしていた物語だった。この国が建国された当時の物語――とされている。

 当時、この国を建てた王に妖精は永遠の愛を得ることができる冠を与えた。

 王は王妃の頭にその冠を載せた。こうして、この国はいつまでも平和な時を刻むことができるようになったのだ、と。

 そんなのただのおとぎ話であることくらい知っている。けれど、ヴィアナの弟妹は建国物語の絵本が大好きで、毎日何回も読み聞かせをするようねだってきた。

 ヴィアナが読み聞かせをしているところに割り込んできたのがブライアスで――。

(……あの頃は、なんて楽しかったのかしら)

 もう、何回も読んだ本だから、内容は完全に頭に入っている。ヴィアナはゆっくりと読み始めた。

 物語が始まってすぐ、ブライアスの方からすぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてくる。

 ランプの明かりの中、少しだけ彼の顔が疲れているように見えた。

(……もし、私が読み聞かせをするくらいでちゃんと寝られるなら……それでいいんだけど)

 上掛けの上に放り出されたままのブライアスの手を、そっと中に入れてやる。少しでも役に立てたらいい――。

(だって、私はここに働きに来たんだから)

 バートにもよくやっていると、認められるくらいに頑張ろう。音を立てないように、そっとその部屋を後にした。

こちらは2017年2月1日発売【えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!(ジュエル文庫)】の試し読みです。編集部の許可をいただいておりますが、途中までの公開となることをご了承ください。また、最終校正版ではないため、実際の書籍と多少異なるところもございます。
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えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!試し読み(11)

「今日、到着したばかりで悪いけど、今から仕事にかかってもらうよ。まずは、殿下の寝室の掃除――今日の分は終わっているから、やり方だけ覚えてもらう」

 ヴィアナの仕事は、ブライアスの寝室を整えることと、寝る前の読み聞かせ――あとは、バートの手が回らない時には、ちょっとした身の回りの世話もするらしい。

 図書室に彼の読みたい本を取りに行くのも、彼が寝室で読むのに持ち出してきた本を返すのも、ヴィアナの仕事になるそうだ。

 目をぱちぱちとさせていたら、バートがつかつかと壁に作りつけられている洋服ダンスに歩み寄った。

「寝室に花を飾るのもいいと思うよ。絵の架け替えは季節ごとだけど、これは僕の方でやるから、細かいことは気にしなくていい。じゃあ、ここに制服が入ってるから、それに着替えたら、そこの扉を開いて隣の寝室に来て」
「か、かしこまりました」

 いよいよこれから仕事が始まる。そう思えば、この贅沢な部屋の中でも身の引き締まる思いだった。

 指示されたとおり、作りつけられた洋服ダンスの扉を開く。そして、もう一回「うそぉ」とつぶやいてしまった。

 タンスの中には、使用人の制服が用意されている。

 でも、そこに置かれていたのはそれだけではなかった。紺色の制服の他に色とりどりのドレスが下げられている。

「なんでこんなものまであるのかしら……っと、急がないと」

 ヴィアナは慌てて、着ていた服を脱いで、制服に着替える。

 制服は白いレースの襟のついた紺色のシンプルなものだ。袖はふわっとふくらんでいて、二の腕のところからはぴったりと腕に沿っている。袖口にも襟と同じレースが飾られていた。

 制服の上に白いレースのエプロン、ヘッドドレスをつけたら身支度終了だ。鏡を見て、ヘッドドレスが曲がっていないことを確認する。

 お城の使用人は、毎日こんなものを着ないといけないのだから大変だな――と、ちょっとだけ城の使用人に同情した。ヴィアナもそこに加わったわけだけど。

「バートさん、お待たせしました」

 急いで着替えたけれど、それでも思っていたより時間がかかってしまった。

 慌てたヴィアナが隣の部屋に入っていくと、バートはにこにこしながら待っていた。

「大丈夫、焦らなくてもいいよ……ええと、まずは寝室の整え方から」

 ブライアスの寝室は、ヴィアナの寝室と同じくらい広かった。ここを毎日掃除するのがヴィアナの仕事だ。

 ブライアスの寝室の方は、白を基調に整えられていたヴィアナの寝室とは違って落ち着いた茶色を基調に調えられていた。

 壁の本棚には、王城の図書室から持ち出してきた本が置かれていて、机の上にも何冊もの本が積み上げられている。

「机の上に置かれているものには、触らないようにね」
「わかりました」

 その他にも仕事をする上で大事な注意をこまごまと受けた。

 王城ではプロの仕事が求められる。自分のベッドを調える時には見なかったことにするシーツの皺もここでは許されない。

 寝室の確認が終わってから、バートに図書室まで連れて行ってもらう。

 このお城は広いから、地図を持っていないとすぐに迷ってしまうことになりそうだ。

 案内された図書室は、今までいた棟とは違って、ちょっと古い雰囲気だった。もともとはこの棟が王族の私的な空間だったのが、新しい棟を建て増ししたので王族の私室は移動になったのだという。

「……図書室はちょっと遠いんですね」
「迷わないように注意してね。幽霊が出るっていう噂もあるし」
「からかわないでください」
「からかってるように見える?」

 真顔でそういうことを言うのは反則だと思う。こちらの棟は急に雰囲気が暗くなるので、夜に本を返しに来るのはごめんこうむりたいところだ。

 一通りの仕事を教わった時には、完全にくたびれ果てていた。そんなヴィアナに向かって、バートは言う。

「もう少し仕事に慣れたら、君に家庭教師をつけるから」
「か、家庭教師……ですか?」

 実家にいる時に、きちんと家庭教師について学んできたから、最低限必要な教養は身に着けていると思う。

 そう反論したら、バートはふぅっとため息をついた。

「もちろん、君に文句があるわけじゃないよ、ヴィアナ。ただ、ここはお城だからね。君のマナーがなってないとブライアス様が悪く言われることになるし、お城にはお城の特殊な決まりがいろいろあるから」
「あ……ご、ごめんなさい。そうですよね」

 ヴィアナはうつむいてしまった。

 自分では恥ずかしくないだけの行儀作法を身につけてきたと思っていたけれど、王城で働くにはきっといろいろ足りていないのだろう。

「素直なのが、君のいいところだよ。忙しくなると思うけど、君ならがんばれるよね」
「はい、頑張ります!」

(……ブライアス様の役にたてるんだもの)

 わざわざヴィアナのために家庭教師をつけてくれようというのだ。きちんと勉強しないと罰があたってしまう。

「お城の使用人って大変なんですね……」

 十五歳の時に家庭教師は卒業して、もう勉強しなくてもいいと思っていたヴィアナはちょっぴりげんなりしたけれど、王宮で働く以上みっともない真似はできない。

「……あら?」

 不意に、ヴィアナは気がついた。身分の高い人に会うかもしれないという話だったけれど、国王夫妻にはまだ会っていない。

 いや、ヴィアナ程度の存在を雇ったところでいちいち顔を合わせる必要もないのだろうけれど、今日一日遠くからちらっと見る機会さえなかった。

「あの、王様と王妃様はどちらにいらっしゃるんですか? 今日、お見かけしなかった気がするんですけど」
「ああ……国王夫妻ね」

 ヴィアナに問いかけられたら、なぜだかバートはちょっぴり遠い目になった。それから、そんな顔をしてしまったことを隠すように首をぶんぶんと振る。

「細かいことは、気にしなくていいよ――国王夫妻は、今は休養中なんだ」
「休養中?」
「ああ、ほら……退位を決めて半分引退というか……もちろん、ブライアス様の手に負えないことが出てきたらすぐに対処できるようにはしてるんだけど、遠くから見守っているという感じかな。今はお二人でのんびり過ごしてらっしゃるよ」
「……そうなんですね」

 国王夫妻を遠くからでも見ることができたなら、家族への自慢話になると思ったのに。

 とはいえ、これからずっとお城で働くのだから、いずれどこかで見かける機会くらいはあるだろう。

 使用人達は、お城の一角にある使用人用の食堂で食事をすることになっている。ヴィアナがそこに駆けつけた時には、大半の人が食べ終えて席を立ったあとだった。

 食堂にはいくつものテーブルが並んでいて、皆、思い思いに食事をしている。

こちらは2017年2月1日発売【えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!(ジュエル文庫)】の試し読みです。編集部の許可をいただいておりますが、途中までの公開となることをご了承ください。また、最終校正版ではないため、実際の書籍と多少異なるところもございます。
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侍女の困惑 王子の寵愛(10)

 ――まだ、正式な婚儀は終えていない。それなのにいいのだろうか。
 
 慎みとか、恥じらい、とか。そういった類の言葉が頭の中を駆け巡る。
 
「どうかしたか」

 国境まで迎えに来てくれたエドウィンとクリストハルトは、ヴィオレッタとルチアをそのまま馬車に戻したりしなかった。
 
 なぜかあっという間にもう一台の馬車が用意されて、エドウィンとヴィオレッタ、クリストハルトとルチア――と、別れて乗せられてしまう。
 
(……本当なら、結婚式を終えるまでこういうのってよくない気がするのだけれど)

 少なくとも、ルチアが今まで育ってきた環境ではそうだった。婚約が決まっても、異性とは二人きりにならないこと。
 
 けれど、そんな慣習は国境を越えたとたん無意味になってしまったようだ。
 
「――殿下、あの」

 向かい合って座るのだと思っていたのに、その予想もまた裏切られた。クリストハルトはルチアの左側に落ち着いてしまって、そこから先握った手を離そうとはしない。
 
「いつになったら、名前で呼んでくれるんだろうな」
「そ、それは……ええと」
 
 名前で彼のことを呼ぶなんて、考えたこともなかった。うろうろと視線を泳がせるも、ここは馬車の中。視線の向け先だって限られている。
 
 クリストハルトの両手に包まれた左手が、じんわりと熱くなってくる。左手だけではなく、頬も、耳も熱い。
 
 赤面したのを誤魔化すようにしきりに瞬きを繰り返し、舌で唇をしめらせるけれど、ルチアの動揺なんて、きっと彼は見透かしてしまっている。
 
「……あっ」

 クリストハルトの手に包まれている左手。その手のひらの中央を親指が円を描くようになぞっている。ただ、それだけなのに、左手が痺れたみたいになった。
 
 自分の口から零れた声が信じられなくて、慌てて唇を結ぶ。その勢いで手を引っ込めようとしたけれど、強く握られた手を引き抜くことはできなかった。
 
「――俺の名前は?」
「で、殿下――んぁっ」

 爪の先で、手のひらの中央をひっかくようにされた。とたん、背筋を奇妙な感覚が走り抜ける。今まで覚えのない感覚に、今まで以上に体温が上昇したような気がした。
 
「や、だめ――」

 手を引き抜こうとする力は弱々しくて、とうてい逃れることなんてできない。わかっているのに、反射的に手を引こうとする動きは変わらない。

「名前で呼んだら、離してやる」
「……それは」

 なんで彼はそんなことにこだわるんだろう。知り合ってからずっと「殿下」としか呼んでいなかったのに、今さらそんなことを言われても困ってしまう。
 
 ためらっていた時間は、どちらが長かったのだろう。このままでいいのではないかと思う気持ちと、名前で呼んで欲しいという彼の願いに応えたいという気持ちと。
 
 今、馬車の中にいるのは二人だけ――それなら呼んでしまってもいいだろうか

 ためらい、とまどい、意味もなく手を開いたり閉じたりしてみる。その間、クリストハルトは何も言わずにじっとルチアを見ていた。
 
 そうやって、じっと見つめられるのもまたルチアをいたたまれない気持ちにさせる。

「ク――クリストハルト、様」
 
 長い長い沈黙の後、ようやく一度だけ彼の名を口にする。それだけなのに、手はがたがた震えるし、頭はくらくらするしで、自分でもどうしてしまったのかわからない。

 これで、手を離してもらえると思っていたのに。

「う、う……嘘をつきましたね……!」

 たしかに手は離してくれた。その意味では彼は約束を守ったのかもしれないけれど。
 
 今度は両腕が身体に回されて、その中に囲い込まれてしまったのだから、これでは先ほどまでよりずっと強く密着しているではないか。
 
 だまされたと思う反面、こうやってぴたりと密着している状態を嬉しいとも思ってしまう。
 
 でも、絶対に耳まで赤くなっているし、心臓ははち切れそうになっているし――クリストハルトはずるい。
 
 彼の胸に手を突っぱねて逃げだそうとしたら、右手がちょうど心臓の位置に触れる。
 
(……どきどき……してる……)

 ルチアの心臓と同じぐらいどきどきしているクリストハルトの鼓動。ひょっとしたら、ルチアよりずっと彼の方がどきどきしているのかもしれない。
 
「クリストハルト様……?」

 腕の中に抱え込まれた体勢のまま、彼の顔を見上げてみる。ルチアのいる位置からは、彼の表情は見えるわけではないけれど――それでも。
 
(耳が、赤くなってる)

 クリストハルトは、ルチアよりずっと余裕だと思ってたのに。それでも、彼もまたルチアみたいに赤くなるのだと思ったら、少しだけ安心する。
 
 自分だけが、緊張しているわけではないと知ることができたから。
 
「ルチアに名前で呼ばれると――何か、こう……くるものがあるな」

 わしゃわしゃとルチアの頭をかき回しながら、彼はそんなことを言う。
 
 今までそんな風にされたことなどなかったから、クリストハルトの豹変ぶりに驚かされた。ただ目をぱちぱちとさせていたら、照れくさそうに彼は笑う。

「どうしたらいいのかわからないんだ。どうしたら、ルチアに気持ちを伝えることができるのか」
「……もう、十分いただいてます」
「そうか――まあ、いいんだ。わかってくれているなら」
 
 どうして、彼がルチアを選んでくれたのか――正直なところ、まだ頭では納得していない。でも、大切なのは考えることじゃなくて感じること。
 
 彼の気持ちをルチアはちゃんとわかっているし、ルチアの気持ちも彼に通じている。それだけで十分ではないかと思う。
 
「これからも、よろしくお願いします」

 彼の手に自分の手を重ねたら、そこから温かいものが流れてくるような気がした。
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えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!試し読み(10)

第二章 お休み係ってなんですか

「あいたたた……」

 妙な格好でソファの上にいたものだから腰が痛い。ヴィアナは腰をさすりながら、廊下を歩いていた。

 ここに来た時同様、数歩前を歩いていたバートが苦笑いで振り返る。

「いきなり大変な苦労を押しつけてしまったみたいで申し訳ないね」
「いえ、それは別にかまわないんですけど」

 手にしているのは実家から持ってきた小さな鞄一つ。王城では、制服も下着も全て新品が支給されるので、必要最低限のものだけを持参するようにと言われていた。

 その鞄を手に、ヴィアナが今ぺたぺたと歩いているのは、恐れ多いことに王城の中でももっとも私的な空間だ。

 ここに出入りを許されるのは王族、一部貴族に、王族の世話をすることを命じられている使用人のみ――そして、ヴィアナもその一人になぜか加えられたというわけだ。

「君を呼んだのは正解だったね。ブライアス様があんなにぐっすりお休みになったのは久しぶりのことだから」
「刷り込みじゃないですか。子供の頃――いつも、私の読み聞かせで寝てたから、私の声に何かあるんでしょう、きっと」

 結局、お茶を飲み終えた後、ソファの上でブライアスは眠り込んでしまった。

 どうしたものかわからず、ずっと下敷きになっていたけれど、前日ブライアスは徹夜だったそうだ。

 結局、いくら何でもおかしいとバートが様子を見に来るまで、ブライアスはヴィアナの上で眠りこけたままだったのだ。

(男の人一人支えるのって重いのよね……)

 ヴィアナも声を上げてバートを呼べばよかったのだろうけれど、できなかった。妙な格好で眠ったブライアスを支えていたから身体のあちこちが痛い。

「でも――お休み係って名称はあんまりだと思うんですよ! もっと、こう何かないんですか」
「寝かしつけ担当とか?」
「そ、それもどうかと……」
「いいんじゃないかな、お休み係。可愛くて僕は好きだけど」
「問題はそこじゃないですよ……?」

 バートってこんな人だっただろうか。いまいち会話が噛み合ってないような気がしてならない。

 アルヴィン国王の退位が決まって三カ月。それ以前から少しずつ政務を任されていたブライアスの肩に一気に責任がのしかかることになった。

 むろん、そのための準備は進めてきたけれど、気が付いたらあまり眠れなくなっていたのだという。

 寝不足が続けば政務にも差し障りが出てくる。そこで、ヴィアナに声がかかったというわけだ。

「ブライアス様が、冗談で『ヴィアナが本を読んでくれたら眠れるかもしれない』って言った時には、僕もまさかって思ったけど――あそこで寝落ちてたってことはそうなんだろうね」
「……お役に立てるなら、別にいいんですけど」

(どうせ、あのまま実家にいても……あまりいい思いはできなかっただろうし)

 そんなわけで、ヴィアナの仕事は王太子専属の世話係――というか、主に寝かしつけ担当、というか彼の快適な睡眠時間の確保が仕事なのだそうだ。

「だから、君の部屋はブライアス様のすぐ隣だよ。夜中に眠れなくなったら呼び出される可能性もあるし」
「は、はぁ……」

(なんだか、大変なことになってしまったかも……)

 と思って気が付いた。

(というか、ブライアス様が結婚したら、その役目って必要なくなるんじゃ)

 それは困る。とても困る。一生結婚しないでお勤めするつもりで来たのだから。ぱたぱたと足を速めて、バートに追いついてからたずねる。

「あのですね、ブライアス様が結婚したらどうなるんでしょう? 他の職場、世話してもらえたりします? 一生働けないと、私、ちょっと困る……」
「あ、うん……だ、大丈夫じゃないかな……?」

 ヴィアナが問いかけると、バートは視線をそらした。天井を見上げて、それはもう実にわかりやすく質問をはぐらかそうとする。

「なんで、そこで目をそらすんですか」
「い、いや、たいしたことじゃないし。大丈夫、もし、君の仕事が必要なくなったら、僕が責任持って新しい仕事を見つけてあげるから」
「お願いしますね? 本当ですよ?」

 なんて、バートにお願いしているうちにヴィアナの部屋に到着した。

 バートが扉を開けてくれて、ヴィアナは室内に足を踏み入れた。

「う……嘘ぉ……」

 真っ先にヴィアナの口から出てきたのは、その一言だった。

 部屋の中央には、どーんと天蓋つきのベッドが鎮座している。天蓋から吊られた白いレースのカーテンがベッドの周囲を覆っていた。

 ベッドから少し離れた壁際には、鏡の縁が金色の鏡台が置かれている。

 窓の側には立派なデスクと壁には本棚。部屋のいたるところに花台が置かれていて、ピンクの薔薇の香りが部屋中に満ちていた。

 それから低いテーブルと、小花模様の布が張られたソファが置かれ、ソファにはピンクのクッションが並べられている。

 全ての家具は白を基調として、金具は全て金。その他に使われているのはさまざまな濃淡のピンクだ。いたるところ、花とレースとフリルで飾られ、部屋中がキラキラしていて、まるで――これでは、まるで。

(お姫様の部屋みたい……)

 目を丸くしたまま、ヴィアナは心の中でつぶやいた。

 実家のヴィアナの部屋はベッドと机が一つあるだけ。洋服は壁に作り付けの洋服ダンスにしまっていたので、その二つさえあれば困らなかった。

 それなのに、この部屋は実家の部屋が十個入ってもまだ大丈夫なくらい大きい。

「ここが君の部屋。気に入ってくれたらいいんだけど――内緒だけどね、全部ブライアス様が選んだんだよ」
「き、気に入るとか気に入らないとか……そんなものじゃなくて、もう圧倒されています」
「それなら、よかった。言っておくけど、ブライアス様の前では知らないふりしておいてね。僕が選んだってことになってるから」

 素直なヴィアナの言葉に、バートは嬉しそうに笑った。

(これ、全部ブライアス様が選んでくれたの……?)

 あの彼が、ヴィアナのためにこんな可愛らしい家具をそろえてくれたのかと思うと――とてもどきどきする。

 側に行くよう促されて、立派な天蓋付きのベッドに近寄る。ベッドに置かれている寝具もまた、白一色だった。上掛けと枕カバーにはレースがあしらわれている。

「これ……シルク……ですよね?」

 枕カバーに手を触れて、その滑らかさに顔がひくつく。敷布も、上掛けもぜーんぶシルクで統一だ。

 こんな高価な寝具で眠れる人がいるのなら、顔を見せてもらいたい――いや、ヴィアナの雇い主がそうだったか。
 
「そう? でも、ここは王城だからこんなもんだよ。君は個室だからちょっとだけ特別だけど、寝具はどの使用人部屋もいい品を置いているから」

 その言葉に、ヴィアナは改めて周囲を見回す。

(絶対に、落ち着かない……!)

 こんなにもだだっ広い部屋でちゃんと眠れるのだろうか。

こちらは2017年2月1日発売【えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!(ジュエル文庫)】の試し読みです。編集部の許可をいただいておりますが、途中までの公開となることをご了承ください。また、最終校正版ではないため、実際の書籍と多少異なるところもございます。

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えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!試し読み(9)

「お前の両親は、快く母上の頼みを引き受けてくれて、隣の家に俺とバートを置いてくれた」

 貴族の隠し子だったのかななんて彼がいなくなった後ちらりと思ったのは、ブライアスの着ている物がヴィアナの目から見ても妙に上質だったからだけど、王子ならばそれも納得だ。

「……なぜ、急にいなくなってしまったの?」
「父上に呼び戻されたんだ。俺が、ヴィアナの両親のところに隠れていたとなるとまたいろいろとやかましくなるからな。そのあたりのことはなんとなくわかるだろ」

 ヴィアナはこっくりとうなずいた。

 わかりたくはないけれど、なんとなくわかるような気はする。

 王太子を何年も匿っていたとなると、ヴィアナの両親にも国内の貴族達の注目が集まって、生活が大きく変わってしまうだろう。今まで秘密を守ってくれたのは、国王一家の思いやりだ。

「で、でも……もう安心なんでしょう……? じゃなかった、安心なんですよね?」

 王族相手にうっかり対等の口を聞いていたことに気が付いて、慌てて口調を戻す。そんなヴィアナに向かって、彼は深くため息をついて見せた。

「まあな――それについては、お前の隣に住んでいる間に両親が片付けた」
「それならよかった」

(でも、それならどうして私を呼んだりしたのかしら)

 ブライアスがヴィアナをここに呼ぶ理由がさっぱりわからない。ヴィアナをここに呼んでどうしようというのだろう。

 目をぱちぱちとさせていたら、彼がますます身を乗り出してきた。

「えっと、あの……」

 これをどうすればいいのだろう。だんだんソファの端に追い詰められるどころか、このままだと下に転げ落ちてしまいそうだ。

「私に、何かご用ですか――?」

 勇気を振り絞ってそうたずねたら、彼がヴィアナの髪に手を伸ばす。

 ぎゅっと目を閉じて、身を固くしたけれど、彼はその髪を指に搦めてひっぱっただけだった。

「言っておくけどな、お前にここに来てもらったのは――俺の世話をさせるためだ」
「はいぃ?」

 しまった、と思う間もなく妙な声が出てしまう。

「せ、世話をさせるって――ブライアス様は大人なんだから、たいていのことは自分でできるでしょうに」

 どこからどう見ても立派な大人なのだから、自分のことぐらい自分でできねば困るはずだ。けれど、彼はしかたないというように笑っただけだった。

「――もうすぐ、おれは王になる」
「そんな、話もありますね……あの、おめでとうございます……?」

 現在のアルヴィン王はまだ五十代に入ったところ。いたって健康で、病気一つしたことがない。

 昨年の冬、二十年ぶりに熱が出たとかで大騒ぎになったという噂はヴィアナのところまで届いていた。そんなことが噂になるくらい、今のこの国は平和なのだ。

「父上としては、母上を娶って以来、気の休まる時がなかった――隣国との仲が最悪だったからそれもしかたのないところだがな」

 けれど、とブライアスは続ける。

「俺が成人に達した頃から、父上はどんどん俺に政務を押しつけてくるようになった。何かおかしいと思っていたら、先日急に引退したいとか言い出したんだ」
「引退……国王を引退ってことは、退位なさるということですか」
「そうなるな。退位して、母上といちゃいちゃ第二の新婚生活を満喫したいそうだ」
「は、はぁ……いちゃいちゃ……」

 いちゃいちゃもいいだろう。第二の新婚生活も大いにけっこうだろう。

 だが、それとブライアスがヴィアナを城まで呼びつけた理由が繋がらない。

 ヴィアナの髪をもてあそんでいた手を離し、彼は自分の額に手をやった。落ちかかってきた前髪をかきあげて、憂鬱そうな顔になる。

「そんなわけで、今の俺は政務で手一杯だ。夜になっても寝付けない――寝不足が続けば政務に支障が出る。これはわかるか?」
「わかりますわかります、寝不足ってつらいですよね!」

 ヴィアナ自身は寝つきも寝起きもいたってよいけれど、親戚の人達が眠れない……と零していたのは知っている。

 眠れないとくらくらすることもあるのだとか。

「今日も政務がたまっていて、明日の朝まで徹夜になりそうだ」
「えーっ、それって、とても大変! あ、あの、私のことはどうでもいいので、さっさとお仕事に戻ってください」
「だめだ、まだ話は終わっていない」

 ヴィアナをぐっと抱きしめたかと思ったら、彼は耳元でささやく。

「お前、俺を寝かしつけろ――」
「へ?」

 寝かしつけろとはいったいどういうことだ。どう返すべきなのか、こんな状況、ヴィアナの乏しい経験値からは適切な行動を見つけ出すなんてできない。

「……子供の頃、お前が本を読むのを聞いていたら、あっという間に眠くなったんだ。ヴィアナの声には魔法がかかっているに違いない。だから――」
「……待って、ちょっと待ってください!」

 あまりにもわけのわからない展開に、ヴィアナの悲鳴だけが室内に響き渡った。

こちらは2017年2月1日発売【えっちな王太子殿下に昼も夜も愛されすぎてます お嫁さんは「抱き枕」ではありませんっ!(ジュエル文庫)】の試し読みです。編集部の許可をいただいておりますが、途中までの公開となることをご了承ください。また、最終校正版ではないため、実際の書籍と多少異なるところもございます。
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